ここのところ、ブロガー諸氏が、突然はてなブックマークでキツいコメントを書かれて気分を害されるというケースをいくつか見受けたが、基本的にはこれが「ベテランはてなユーザー流」の歓迎のしかたの一つなので、ここは「あら?そんなにこっちに興味あるの?んもう仕方ないわね、どうしても読みたいならこれからも読ませてあげてもよくってよ」と悦に入るところである。
である、と断言したのは理由があって、結局はブックマーカーに代表される読み手というものは書き手に依存せざるをえないからだ。
叩くにせよ、賞賛するにせよ、対象がなければ何もできないし、あったとしても叩きがいのないコンテンツばかりでは毒舌も発揮しようがない。
だからブロガーは、お腹がペコペコで騒ぐ子供たちをたしなめながら優しく手料理を配ってあげる母親のような気持ちで接してあげればよろしい。
これはもちろん書き手についても言えることで、いつでも書き手と読み手は依存しあっている。
しかし、それをお互いに意識しすぎるとあんまり楽しい結末を迎えられない気がするので、まあそういうものなんだと心のどこかに付箋を貼っておきたいところだ。
さらに突っ込んで書くならば、この書き手が広げて読み手が叩き、また広げて叩く、といった奇妙な共同作業は、インターネットを使った巨大なブレーンストーミングだ。
その先にあるものは扱うテーマによって違うだろうけど、これに参加した人々はそれぞれ何らかの収穫が得られる。
人によってはそれが人生を変える衝撃的な発見かもしれないし、ちょっと気の利いたことを言えたという快感だけの場合もあるかもしれないが、どっちにしても面白い体験だ。
僕は普段ブレーンストーミングをする時に気をつけていることがあって、それは「正しい答え」を見つけようとしないことだ。
もっと新しいやり方はないか、面白いやり方はないか、楽しいやり方はないか、という視点でアイデアを出していく。
乱暴に言うならば、生産活動というものはそういうものだと思うからだ。
間違いも失敗も含めて色んな可能性を探り、その中で今まで気づかなかった新たな発見に出会う。
その繰り返しこそが何かを生み出す行為なんだと思う。
もっと言えば、僕らは全員、間違っている。
しかし、それぞれが色んな間違いのバリエーションを持っているからこそ、間違いを組み合わせあい、新しい間違いを作り出せる。
新しい間違いは、これまでの間違いでは解決できなかった問題をクリアしてくれることがあるけど、しかし間違いにかわりはないのでどこかしらまた間違いが起こる。
そこでまた新たな間違いと組み合わせてみる。その繰り返し。
だから、もともと僕らはお互いを簡単に糾弾しあえるのだ。
だってどっちも間違っているんだもん。
ただし僕にはあまり人生に残された時間はないので、そこであんまり手間を取られたくない。
それよりも、お互いが持っている間違い加減の異なる鍵を見せ合って、次の未来を開けるのにはどうしたらいいのかを、一緒にカチャカチャやってるほうがずっと有意義だ。
ブログを書くのにそんなごたいそうな話は聞きたくないって?
そんな方には、非常に残念なことを伝えなければならない。
あなたが表現者として、間違いだらけの文章をこの世の中に撒き散らす人生は、すでに始まってしまっている。
もう、楽しむしかない。