僕は消える、世界は続く。

 
 
 
 
 

たぶん、色んな人が色々言ってきたと思うんだけど。

 
 
思春期の頃に諸行無常という言葉を知ってから、ずっとそれに束縛されてきてた気がする。
 
たぶん、その頃ならではの、世界というのは自分を守ってくれるためにあるものではないという気づきと、この世に永遠のものなどないという考え方が妙にマッチしたせいで、心のどこか深いところに刺さりっぱなしになっていたのだろう。
 
それから受験戦争なり就職氷河期なりの世間のイベントに流されているあいだも、この釣り針はしぶとく引っかかっていて、どれだけ楽しい時でも、どれだけ苦しい時でも、いずれこの時は終わるのだという感覚があった。
 
それでも、取り組むベきことが明確なあいだはそれでよかった。
 
どうせ諸行無常なんだからこそ、出来る限り努力して、出来る限り楽しめばいいじゃないか、と考えていた。
 
しかし残念ながら、人間は歳をとるとイヤでも視野が広くなるし、選択肢も少しは増えるし、その中で選択しなかった未来についても知るようになる。
 
自分よりも充実した人生を送っている人がいることも知る。
 
そんな時に諸行無常という言葉はひどく僕の心の繊細な部分をひっかきまわし、ヤケクソな気分にさせたり、どうせこの世は無常なんだから何をしてても無駄なのだと極端にモチベーションを低下させたりしてきた。
 
 
だけど、そこには実は間違いがあって、たしかに諸行は無常なのだが、この世の中は続いていくのだ。
 
僕はどうやら人生の初期において、自分の命が有限であることを、世界がいずれ消滅することと、同一視してしまっていたようだ。
 
世界は続く。僕は消える。
 
しかし、ほうっておけば無論、世界も消えるだろう。
 
人は自分が消えた後も、世界が続いて欲しいと思うだろうか。
 
僕は、続いて欲しいと思う。
 
こんなに辛くて、苦しくて、悲しくて、しかしその中でほんのわずかだけ得ることができる、生きているという喜びを、少しでも多くの人に、これからも味わって欲しいと思っている。
 
そして、これからの世界は、これまでよりも、生きること自体をずっと楽しめるものになるはずだと、期待している。