先に結論を言うならば、
権威や権力に近づく場合は、明確な目的を持っていれば大丈夫だ。
逆に言えば、そうでない場合は、近づかないほうがいい。
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僕らは、権威や権力というものは属人的なものだと、つい勘違いしてしまう。
それは有名な先生とか偉い社長とか、人の顔をしているように見えるので
そこに人格を求めたり、あろうことか人情までも期待してしまったりする。
しかし、実は権威や権力というものは、
そういった「依り代」に憑依する性質があるだけで
本当は、人々の意識が集中しやすい方向とか流れとか、
そういった動的なものを瞬間で切り取ったものでしかない。
依り代となってしまった人物からすれば、
それが望むにしろ望まぬにしろ、
もう、それを自分でコントロールできるような状況ではないのだ。
ただ、そんな意識の集中する先が動かぬように、バカみたいにふんばったり、
あるいは、早く別のところに行ってもらえるまで、ひたすら我慢したりするしかない「代物」なのだ。
これは僕がこれまでタレントとか経営者とかアーティストとか学者とか、
権威や権力のある人々と出会ってきて、出した結論。
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権威や権力というものが人間とは別物である証拠に、
いずれはその依り代から離れていくし、
まあ、それをうれしいと思うのか悲しいと思うのかはその人次第だけど
その時にやっと彼・彼女は解放されて、自分の本当の感情や本音や好き嫌いを表現できる。
それまでは、権威や権力を持っている人間には「人間性」を発揮できるシーンは限られている。
その人の一挙一動が人々の意識に影響を与えるのだから、ヘタな行動は取れない。
万が一、その人物が主体的に何かを行ったとしたら、それは大きな意味を持ってしまうのだ。
だからこそ、彼らに近づく場合は
「自分はあなたに対して、こんなことを求めている」と明示することが必要なのだ。
そうすれば彼らには言い訳ができる。
「私は、あの人から、こんなことを求められている。これは私の意志ではなく、あの人の要求だ」と。
実は、それに対して応えるも、応えないも、どちらも大した違いはない。
いずれにしたって、それは「求めてくる相手の意志」が大事なのであり、自分の意志ではない。
多くの人々が思っているのとはまったく逆に、
権力者というのは非常に孤独で、そして、とても受動的な存在なのだ。
だからもしあなたが求めているものを向こうが与えてくれなかったとしても、
何もショックを受ける必要はなく、むしろ彼らの境遇に同情してあげたほうがよろしい。
そして、もしあなたが、自分の憧れの人や尊敬する人に対して、
何も求めるものがない場合は、その人には近づかないほうがよろしい。
その人は、あなたに何も与えてくれないし、何も教えてくれないだろう。
なぜなら、権力者自身が、自分の答えを持っていないからだ。
そんな状態でいる人間が、あなたの何を導くことができるだろうか?
何を救うことができるだろうか?
いつも答えは、自分の中にしかない。
世の中にあるのは、そのヒントだけだ。