人間を超越した何かの存在を、信じますか?







もう何年も前の、有名なプレゼンテーションだけど、作家Elizabeth Gilbertの話は素晴らしい。
興味のある方は、20分くらいあるので、時間のある時にどうぞ。
エリザベス・ギルバート "創造性をはぐくむには" | Video on TED.com

一言でいえば、「クリエイティブな才能は、人間に属していると考えないほういいのではないだろうか」という提案。

太古の昔は、表現に関わるひらめきは、この世のものではない存在がもたらすものと考えられてきた。

ミューズとかムーサとかデーモンとか、そして神とか。

神がかりとなった1人の人間が、自分の意志とは関係なく、驚くべき創作の才能を発揮させ、
人々はそれを畏怖の念とともに、受け入れてきた。

しかし現代では、クリエイティブな才能というものは、そういう得体の知れないものの所有物ではなく
1人1人の人間に帰属するということになってしまったので、
表現者は到底1人で抱えきれない大きな悩みを抱えなければいけなくなった。
過剰な期待による重圧とか、一時の成功がもたらす自分自身の傲慢さとか、失敗したときの絶望感とか
まあそういった重い荷物をしょいこまないといけなくなった。

そこで、僕たちはもう一度、この才能とかひらめきとか創造性とかいったものを、
人間以外の存在へと帰してはどうか、という提案なのである。



僕はこの提案に乗っかりたいと思う。

先日もブログに書いたように
ブログを書く時に、気をつけておきたいこと。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
表現者はあまりにも大きなリスクを抱えすぎていると思う。

表現者というのは一部のプロだけではなく、
何らかの表現行為に関わる全ての人を指す。

表現というのは本当に恐ろしいものである。
ミステリ小説の中で犯人が人を殺すシーンを描写する時、
書き手は、脳内で殺人を犯している。
それは頭の中で起こっただけの出来事であり、単なる空想にすぎないが、
ちゃんとした文章になって、誰か別の人間が読むということによって
その殺人は、テレビから流れてくる本当の殺人事件の情報と
ほとんど変わらない種類のものとして受け取られ、
さらに受け手の頭の中で、またリアルなイメージを持ったものとして再生される。

表現者は、人を殺すことができる。
簡単に不倫をすることも、親友を裏切ることも、核兵器で地球を一瞬のうちに滅ぼすこともできる。

僕はそんな恐ろしい行為に加担しているけど、もちろん責任なんて取れない。

だから僕はまったくの無宗教ではあるけど、
定期的に近所の神社にお参りに行くことにしている。

人間には到底理解しえないような超越した存在に対して、
このように祈らずにはいられないのだ。


あなたからお借りしている力のおかげで楽しく生きることができています、ありがとう。

ですから、急に表現のチャンスを取り上げられたりしても、文句は言わないつもりです。

あなたもご存じのとおり、人生というものは山あり谷ありで、良いことの次には悪いこともやってきます。

ですから、喜び過ぎず、落ち込み過ぎず、自分のできることをやりながら、地道にやっていこうと思います。

ある人は、こんなことを言ったそうです。

生きてるだけで、まる儲け。

まあそれも、あなたがとりついて、言わせたものなのでしょうけれどね。

とにかく今日も、ありがとう。