人間臭いから、人間なのだ。



今日、先輩(本厄)がBRUTUSの「あたらしい仕事」特集号
http://magazineworld.jp/brutus/752/#/tab_mokuji
を買ってきて、これをやるよ、と渡された。

別にそんなもん見なくてもいいと思ったんだけど
もらえるものはもらっておこうと受け取ると、彼は言う。

「しっかしアレだな、このノマドとかいうやつらは
オレたちとは全然違うものを見てるんだろな。
こいつらにとっては、金は単なる数字なんだろうし
仕事とプライベートの切れ目なんてないんだろうな」

しかし、かくいう本厄先輩は、
いわゆるフリーでずっとやってきた人で
アイデア1つで世の中を渡ってゆく
ノマドの先駆けみたいな生活を送って来たはずなのである。

その彼をして、そんなことを言わせるのだから
世の中は本当に大きく変化しているのか
あるいはBRUTUSスタッフのみなさんの編集力が素晴らしいのか
まあその両方なのだろう。

それから僕らは、ちょっと真剣に、
これから必要とされる仕事とは何かを
話したのだけど、その中で
「人間にしかできない、きわめて人間臭い仕事」
は残っていくだろうな、という1つの仮説を出した。

まあ、それは本当に当たり前のことだし
多くの人が言及してきていると思うんだけど、
これからは機械(あるいはプログラム)が
人間の代わりに、色んなことをやってくれるようになる。
で、アルゴリズムを見いだせる行為については
どんどん機械化していくのだろう。

現に、目的に応じた効果的な広告表現を
自動的に生成することだって、ある程度は可能になりつつある。

車の運転も、行き先を入力する作業しかなくなるだろうし
食べたいものを頭でイメージするだけで
その場で瞬時に料理が出てくるような
3Dプリンタの食べ物版みたいなのも登場するのだろう。

さて、そうやって色んな行為がテクノロジーによって代替されていくと
目下の課題は、ヒマになった人間たちを、
どうやって忙しくするのかということである。

すなわちは、ぺちゃくちゃと無駄話に花を咲かせたり
マニアックな趣味に没頭したり
他人の悪口やら噂やらを言いふらして
無意味に人々を不安にさせたり
そうやって起こるいざこざを鎮めるために走り回ったり。

結局そういうきわめて「人間臭い」ことだけが残る。

そして、それこそが人間という存在の本質なんじゃないか。

そうなると、問題は、そういう人間臭さを扱うような行為というものは
お金になったり、社会的な価値になったりするのか、ということだが
こればかりは、「そうです」と言って
自分の姿勢を示すくらいしかできることはない。

そこに正しい答えというものはないし、
希望的観測のもとで、歩いていくしかない。

しかし、よく考えてみれば、そういうモヤモヤした霧の中を
ビクビクしながら、しかし好奇心を抑えられずに進みはじめるのは
ずいぶん人間臭い行為ではないだろうか。