僕には家族があり、子供も小さいので
せめて子供が大人になるまでは
生きていたいと思うけど
最悪、今日のうちに死んでしまっても
それはそれで、仕方ないかもしれない。
生きることに飽きたとか、疲れたとか
そういうことでは全くないのだけど
ふと、そう思うことがある。
★
もちろん、本当に死んでしまったら
未練がたくさん残ると思う。
まだまだやりたいことがたくさんあるし
自分が理想する自分のイメージにもたどりつけていないし
知らないことや経験していないことがたっぷり残っている。
だけど、それと同じくらい、
自分はやりたいことをやってきたとも思える。
それは、すごく些細なことで、
めちゃめちゃおいしいステーキを一回だけ食べたことがある、とか
廃人寸前になるまでゲームをやりこんだことがある、とか
つまらないサラリーマンの分際で、
クライアントからの依頼を断ったことがある、とか
まあそういう自分の中の満足感が、それなりにあるからだ。
そりゃまあ世の中、上を求めれば
いくらでも面白いことや、楽しいことがある。
僕には、ものすごく金持ちの友人や
ものすごく高い地位の友人もいる。
彼らの遊び方や働き方は想像を絶するものだ。
でも、彼らと比べても、たぶん僕は自分の人生を
満喫しているほうじゃないかなと、そう思う。
ものすごく平凡で、ものすごく下手くそな生き方だけど。
★
ついこのあいだまで、僕は不全感でいっぱいだった。
自分よりもたくさんお金を稼いでる人間がうとましく
自分よりもモテるやつらは全員事故にあえばいいし
自分よりも有名なクリエイターはみんな死んだらいいと思っていた。
人間の不全感は、自らが足りていないと感じることからではなく
他者との比較から生まれる。
あいつはできているのに、自分はできていない。
そういう不平等が、人の嫉妬と欲望を駆り立てる。
性的な興奮のことを、劣情、というけれど
すごくよくできた言葉だと思う。
エロティックなイメージを描いた時、
男性は自分の中の「満ちていない」という感情を、
「劣っている」と感じるのだ、と僕は勝手に思っている。
(実際は「下劣」とかから来ているだけなのかもしれないが)
あんなにエロティックな喜びを
自分だけが得ることができていない、
そう感じることが、不全感につながる。
そしてそれはどんどん蓄積していって、
ドロドロとした嫉妬や怒りや衝動へと変換されていく。
これは、全てに言えることだと思う。
★
広告は、そういう人間の不全感を利用してきた。
あなたの家庭には洗濯機がないんですか。
恋人とデートする車がないんですか。
おしゃれなタブレットがないんですか。
他の人は、持っているのに。
なんて原始的な方法だろう。
でも、伝説のCMディレクター杉山登志さんは
それを理由ということにして、自分自身の命を絶った。
『リッチでないのに、リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに、ハッピーな世界などわかりません。
夢がないのに夢を売ることなどは・・・とても。
嘘をついてもばれるものです。』
しかし、そんな古くさい手に
いつまでも引っかかっている場合じゃない。
★
そこで僕は、「あきらめる」という方法を知った。
出世を、あきらめる。
成功を、あきらめる。
人気者になることを、あきらめる。
そうやって、まあこれならあきらめてもいいか、
というような願望をどんどん捨てていって
最後のほうに残った、どうしても捨てられないものだけを
心の中にとどめておくことにした。
表現者として、自分が納得のいく表現をしたい。
(あくまで、僕の場合)
その望みだけをシンプルに
追いかけるようにして、生きている。
今だって、それを達成できているとは思えないし
ちょっとでも前に進んでいるのか、怪しいところではある。
生きるためには、他にも色んな仕事をしなくちゃいけないし
信念だって、いつもブレまくっている。
でも、万が一、僕が今日、死んでしまったとしても
あのコンプレックスだらけの毎日の中で
ズルズルと生きながらえていくよりも
ずっと納得のいく人生だったと言えると思う。
騙されちゃいけない。
人は、何かを達成するために生きているのではない。
まして、他人に勝ったり、他人よりも幸せになることなど
生きる目的でもなんでもない。
ただ愚直に、自分にしか見えていない(それすら怪しい)
ような霧だらけの道の中を歩いていくこと。
その行為自体が、生きるということなのだ。
少なくとも、僕にとっては。