エラくなるのは、もういいや。

 

 

 

校長先生になりたい教師が減ってるらしい。

 

「子供を教えるため先生になったのに、煩わしい渉外業務は嫌だ」

 

新聞記事の中の、この先生の言葉に強く共感した。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120915/wlf12091512000005-n6.htm

 

あ、そうだよな、と思った。

 

先生は、子供に教えたいから先生になるのだ。

そうじゃない人も、もちろんたくさんいるのだろうけど

自分の子供は、こういう先生に教えてもらいたい。

 

エラくなるためのポイント稼ぎばっかり考えている先生が担任だったら

ポイント加点対象外の子供はちゃんと相手してもらえないだろう。

 

 

 

僕も、今の仕事を

「自分がやりたい」というシンプルな理由で選んだ。

やりたくて、やりたくて、仕方がなくて

何年もかけて今の職務にたどりついた。

でも、時代の流れはあまりにも早く

念願がかなった頃には、ニーズが激減していた。

 

あせった僕は、何でも仕事を引き受けることにした。

職務外のような仕事でも、どんどんやった。

それが本来の仕事を増やすチャンスになればいいと思った。

「そんなのはオレたちの仕事じゃないだろ」

という先輩や同僚にはむしろ敵意を持っていた。

生き残るには、変わらざるをえない。

せっかくやりたい仕事にありついたのに

それがなくなるなんて、ごめんだ。

 

で、僕の心はどんどん腐っていった。

変化に対応しようと努力しているつもりが

便利屋あつかいされたり

ダークなキャラとして見られたりして

孤立していった。

 

結局、僕は自分自身に対して

ウソをつきながら生きていたので

仕事もまったく楽しくなかったし

それがみんなにも伝わっていたんだろう。

 

ふと、スケジュールが空いたときに

僕は、じっくり時間をかけて頭の整理をして、決めた。

 

もう、成功は、あきらめよう。

 

自分のやりたいことや好きなことがわかっているのに

心にウソをついて、「生き残るために、必要っぽいこと」に

時間をかけるのをやめようと思った。

 

僕にとってのゴールは

いつまでも機嫌よく、やりたい仕事をやり続けること。

で、ちょっとでも世の中が明るくなることに

関われたら、本当にうれしい。

 

それで出世できなくても、もういい。

食えなくなったら、その時に考えたらいい。

 

エラくなるとか、もう、どうでもいいや。