すべてを抱いて、消えていく。



年を取ってよかったなと思えることのひとつは、当たり前だけれども、思い出がたくさんあることだ。



その中で、このところずっと思い出されるのは、妻と上の子(まだ1歳になっていなかった)とバリ島に行ったときのことだ。
ホテルまで送ってくれるバスの中で、運転手が簡単にバリの案内をしてくれた。

バリはインドネシアの多くの地域と違って、ヒンドゥー教を信仰している人が多いです。
ヒンドゥー教はバランスが重要な宗教です。
善と悪も、なにもかも、バランス。
どっちも必要。
そのバランスを保つことが大事。

ぼくはこれを聞いて、なんだかほっとする考えだなあと思った。
当時のぼくはまだ、自分の仕事や生き方について絶対的な答えを探していたように思う。
クリエイターとして成功するにはどうしたらいいのか。
人生の勝者になるためには何をすればいいのか。
そんなときに、善と悪、成功と失敗、栄光と挫折、幸せと不幸せ、生と死、どちらも受け入れて生きていくという考え方が、妙に印象に残った。

だからといって、そこから何かが大きく変わったわけではない。
どちらも大事、なんて甘い考えで仕事をしていたら、すぐに競争からはじきとばされてしまう。
こっちが大事だと即決し、敵と味方を明確にし、正しい行動とそうでない行動を区別しなければ、やられてしまう。
そう思いこんでいたし、周りもそういう態度をぼくに期待していたように思う。
というとずいぶん昔のことのようだけど、今だって、同じようなものだ。
ぼくが従事してきた仕事の背景に、そういった考えがずっと根を張り、多くの人がそれを当たり前のこととして働いてきた。

今になってバリ島のことが思い出されるのがなぜなのかはよくわからないが、どうもあの時に感じた、そうだよな、人間って善でも悪でもない、両方を抱えて生きている存在だよな、という思いが、またよみがえってきているようだ。
自分自身と身の回りに起こったことをすべて受けいれて、それらを肯定し、バランスを取りながら生きていく、そういう人生のとらえかたに、あらためて魅力を感じているように思う。
理由はよくわからない。
あれから年を取ったし、家族も増えたし、仕事の中身も大きく変わったし、色んなできごとがあった。
だけどそんなに大した変化があったわけではないようにも思う。

おそらくぼくは、もうずっと昔から、そのことに気づいていたのだ。
人生には、正解なんて存在せず、死ぬまでに経験したことの総和があるだけで、それもいずれはあとかたもなく消えていくだけだということ。
それを、この混沌とした世界の中で、あらためて確認しているだけなのだ。
もちろん、だからといってすべてが空しい、なんてことはまったく思わない。
いや、すべてが空しいからこそ、すべてが愛しい。
生きることのすべてが、なんて豊かで、なんてみずみずしいのだろうと思う。

そういえば、バリ島から帰って、少しだけヒンドゥー教について調べてみたけれども、バランスが大事、なんてことはどこにも書いていなかった。
今ちょっと調べなおしてみたら、どうもバリ島で独自の発展をとげた教義のようだ。
あの時にバリに行かなければ、触れることがなかったのかもしれない。

そういうことも、年を取ってよかったなと思えることのひとつだ。