時々、留守にしようと思います。



今週は、朝から自宅で、じっくりとひとつのテーマについて考える時間を作ってみた。



テーマは、割と差し迫っている仕事についてであるが、中身は色々だ。
ようやく子どもたちが毎日学校に通うようになったので、やっとそういう時間がとれるようになった。
そこで、さあ、しっかりと考えるぞ、と思って机に向かってみて、そこで恐ろしいことに気がついた。

集中力がびっくりするくらい落ちている。

ちょっと調べものをしようと思ってインターネットを見ただけのつもりが、気がつくとメールをチェックしはじめていて、そこからまた別のインターネットの記事を読んでしまっていたり、急に電話がかかってきて、それに対応しているうちに、さっき考えていたことを忘れ、その代わりに人に連絡しなきゃいけないことを思い出してチャットをしている。
とにかくじっくりとひとつのことについて考えることができなくなっているのだ。

それはつい最近のことではない。
もうかなり長いあいだ、ぼくは何かひとつのことを深く掘り下げて考えるということをしなくなっている。
色んな理由はあるけれども、たぶん一番大きな原因は、年を取って自分の役割が妙に色々と増えて、時間を細切れにしか使えなくなってきたということだろう。
あまり考えたことがなかったが、おそらく最近は、10分から20分くらいしかひとつのことに対して集中して考えることができていないように思う。

同僚とアイデアの壁打ち。
社内のこまごまとした相談。
若い人のトレーニング。
わけのわからない事務手続き。
いくつものことを検討して決める会議。
得意先への提案。
その資料作り。
15分や20分のセッションが続くワークショップ運営。
気難しい人への頼み事。
人生に迷う後輩の悩み相談。

そうこうしているあいだにもう帰宅しないといけなくなる。
帰ったら帰ったでやることはいくらでもあるので、何かを腰をすえてじっくりと考え、おお、ひらめいた、なんていう体験をすることがすっかり減ってしまった。

もちろん、そういう状況を作り出した張本人はぼく自身だ。
イデアは自分だけで考えないほうが面白いものが作れると気づいた。
だから、できるだけ人と一緒に考えるようにしている。
たくさんの仕事を短い時間で終わらせないといけない。
だから、時間を短縮するにはどうしたらいいか、そればかり考えている。
一人で仕事を抱えこんで苦しい思いを何度もした。
だから、必ずチームでやるようにしているので、どうしてもメンバー一人一人との対話も増えてしまう。
それらはどれも自分にとってすごく大切な取り組みなのだが、そのおかげで、自分の内側にこもって、じっくりと自分の感じたことについて味わい、何か面白いものがやってくるのをじっと待つ、そういうことをほとんどやらなくなった。

今週、ちょっとそういうことを意識して、自分と向き合う時間をすごしてみた。
でも、もう10分経つと我慢できなくなって、ふわっと意識が外に逃げ出してしまう。
そのときにパソコンやスマホがあると、もうダメだ。
ちょっと気を許した瞬間に、まったく別の仕事を始めてしまっているのだ。

というわけで、パソコンをシャットダウンし、スマホは手の届かないところに遠ざけて、紙のノートを広げてみた。

それでもスマホは定期的にブルブルと震えるし、わからないことや知りたいことが出てくるとすぐに検索をしたくなる。
それをぐっと我慢して、自分の内面に閉じこもり、ああでもない、こうでもないと悩み続ける。
ああ、この時間のなんと辛いこと!
そして、楽しいこと!

ぼくが長いあいだ求めていたのは、こういう時間だったのかもしれない。

おまけに、このぐらいの時間であれば、これまでの忙しい生活の中でも、確保しようと思えばできたような気がする。
これからも、パソコンを閉じて、スマホをオフにして、ちょっとだけ、この辛くて楽しい時間を味わいたいものだ。
孤独に耐え、自分の内面と向き合い、答えのない問いと格闘する時間。
そして、どこからか突然、一筋の光が差す、その瞬間。
たまらない。

そんなわけで、もし、ぼくが電話に出なかったり、すぐに反応がなかったりする場合は、この辛くて楽しい修行に出かけている時かもしれませんので、どうかご容赦ください。



娑婆に戻ってきたら、すぐに折り返しますので。