ハック病に、感染しています。

 

 

池田仮名さん (id:bulldra)がこんな記事を書いていた。

 

 

 

都知事選出馬の供託金300万は大型広告出稿と考えると安い - 太陽がまぶしかったから

 

本来の目的ではなく、安上がりな情報発信手段として、東京都知事選挙への立候補をする人がいるのではないか、ということについて書いている。

仮名さんは記事の最後にこう締めくくっている。

あくまで効率の良すぎる広報のための必要資金を払っただけという状況を回避するための解決策として最初に思いつくのは供託金を高くすることなのだけど、それは富裕層との格差固定化に繋がる。審査を厳しくする事も考えられるが恣意的な表現規制は現政権の固定化に繋がる。

 民主主義の前提と両立する有効な解決策が簡単にはできないからこそハックされているのだけど、結果としてそれらの悪手の推進に誘導されていくことに暗澹たる思いになる。

 

なるほど、ありえそうな話で、暗い気持ちになってくる。

 

サラリーマンの世界でも、何かルールとルールのあいだの隙間をかいくぐって「ズル」をする人が出てくると、そのズルを防ぐために妙に厳しく人々の活動を制限するルールが新しく生まれる。

そういったがんじがらめの状況の中で有利な立場でいられるのは、そういったルールを管理する状況にいる人か、どれだけルールが厳しくなってもお金や影響力など別の力を持ってそのルールをねじ曲げたりかいくぐったりし続けられる人だけだ。

そして、この人たちのパワーは、他のほとんどの人たちがまじめにルールを守り、じっと我慢し続けていることを前提として、約束されているように思う。

そうやって、システムを管理する人と、これをうまく利用する人と、その中に埋め込まれてじっとまじめに我慢し続けるほとんどの人に分断されていく。

たしかにモヤモヤする話だ。

じゃあどうすればいいのか。

 

 

選挙の話に戻ると、公職選挙法はスポーツのルールとよく似ていると感じる。

試合の時間はこれだけですよ、使ってもいいモノはこれだけですよ、プレーしていい場所はここだけですよ、というのが厳格に決められている。

だけどあまりにそのルールが古すぎて、今の時代に合っていないから問題なのだが、しかしそういうスポーツだっていくらでもあるはずだ。

野球の試合で、打球をドローンにキャッチさせてはいけない、というルールはないだろうし、投手のフォームを瞬時にAIで分析してコースを予測するメガネを捕手が装着してはいけない、というルールもないだろう。

じゃあなんでみんなそういうことをしないのかといえば、それじゃゲームとしてつまらないからである。

みんなができるだけルールを守って、そのルールの中でプレーするから盛り上がるし、参加する選手たちも真剣に取り組める。

選挙についても同じことが言えるんじゃないだろうか。候補者だけでなく、周りが関心を持って見守っていれば、ズルをする人の数も減るように思う。

まあそれにしても選挙のルールはあまりにも古すぎるから見直さないといけないと思うけれども。

 

 

それで、またサラリーマンの話に戻るけれども、最近のサラリーマンの世界は、これまでのルールのほころびを見つけ、これをビジネスチャンスに変えなきゃいけないという強迫観念で頭がいっぱいになる「ハック病」が蔓延しているような気がする。

何を隠そう、ぼく自身がこのハック病に感染していて、この病気の問題点は、今自分がいる環境というものを信用できないことだ。

いつこの仕事がなくなるかわからない、いつこの生活がなくなるかわからない、という不安の中で暮らしているので、なんとか生き残る方法を探さなきゃということで頭がいっぱいで、目の前の試合にすべての力を集中させることが難しいのだ。

おそらくぼくに必要なのは、あなたが今やっていることはとても大事なことです、とか、安心してその取り組みに集中していいんですよ、

とか言ってもらえることなんだろう。

ひょっとしたら、それは今までは、勤めている会社や、あるいは社会に求めていたものだったのかもしれない。

だけど、そういう自分以外の何かを信じきっていればいい時間は過ぎ去った。

かといって、自分の信じることだけを頼りに生きていくのもそれはそれで大変なことだ。

 

ぼくに言えることは、そのあいだの、宙ぶらりんな状態にしばらく耐えながら生きていくことが、今できることなんじゃないかな、ということぐらいだ。

 

 

試合は終わっても、人生は続く。