まだ結婚している、男。

 

 

 

めったにテレビを見ない。

 

 

 

特にテレビドラマなんて10年以上ちゃんと見たことはない。

だけど昔好きだった関西テレビ放送のドラマ『結婚できない男』が、『まだ結婚できない男』として復活すると聞いて、それだけはずっと楽しみにしていた。

 

とはいえ火曜日の9時なんて時間にゆっくりテレビドラマを見る余裕なんてなく、毎回見逃し配信のお世話になっている。

 

それにしても、13年ぶりの復活だそうで、もうそんなに経つとすっかり「結婚できない」ことの何がいけないの、という時代になってしまっていて、見ているこっちは阿部寛さん演じる主役の桑野信介の日常を、ひとつの人生の完成形として鑑賞しているような気がする。

 

自宅で大音量でクラシックをかけて、恍惚の表情で指揮者ごっこを楽しみ、店で一人鍋を満喫し、夜遅くまで理想の設計の追求に夢中になっている桑野の暮らしは、現代におけるひとつの憧憬なんじゃないだろうか。

 

前作『結婚できない男』は、好きな仕事で稼ぎ、ハンサムで、自分が一人で楽しめる技術に長け、しかし結婚だけができない(あるいは恋愛ができない)点だけが彼の隠れた弱さとして滑稽に描かれていた。

 

しかし、いま『まだ結婚できない男』を見ていると、彼には急に飲みに誘える義兄がいて、法律相談のついでに人生観について語り合える女友達がいて、彼に果敢に絡んでくる職場の後輩たちがいる。

 

社会資本も十分に豊かな人生を送っている桑野信介には、結婚しないといけない理由なんて、特にないのだ。

 

こうなると、桑野は「まだ結婚できない男」ではなく「もう結婚しなくてよい男」であり、ぼくのほうが「まだ結婚(というものにとらわれて)している男」だと思えてくる。

 

ただまあ、何が幸せかというのはその人にしかわからない。

桑野のように多くのものを持っているからこそ、満たされないものが実は気になって仕方がない、という場合もあるだろうし、ぼくのように結婚や子育てを経験しているからこそ、自由な時間の貴重さを身にしみて感じる、ということもあるだろう。

 

つまりは幸せの形はみな違っていて、それぞれがそれなりにモヤモヤしたものを抱えながら生きてる、というわけだが、それにしたって自宅で一人遊びに興じる桑野の姿を見ていると、ぼくは何か大事なものを忘れて暮らしているような気がしてしまう。

 

それは、自分自身というかけがえのない伴侶をちゃんと大事にしてるかな、という、そんなに普段は気にかけているわけじゃないが、しかしずっと心のどこかでくすぶっている小さな疑問なのかもしれない。