喫茶店に一人でいる人間は、まともじゃない。





ぼくの父は、昔はタバコを吸っていて、そのせいなのかそのせいでないのかはよくわからないが、喫茶店にばかり行っていたような気がする。



子どもの頃、梅田の喫茶店に連れて行ってもらい、エクレアといういかにもうまそうな食べ物がショーケースに陳列されていたので、それを注文したところ、店のおばちゃんが冷蔵庫から透明のビニール袋に入った、シュークリームのミイラみたいなのを出してきて、手で袋を開けて皿に置いたのを見て、ひどくがっかりしたのを覚えている。

当時の広告業界はひどくいい加減で、クリエイティブディレクターはいつもデスクにおらず、いきつけの喫茶店に直接電話して呼び出したりしていたという話も聞く。

父もそういう環境の中で仕事していたのだろう、どっちにしたってまともな感覚じゃあない。

それで、もれなくぼくにもまともじゃない感覚は受け継がれていて、まあ別に喫茶店に行かなくても仕事はできるが、ちゃんとした姿勢で何かをやる、というのができない。

いつも貧乏ゆすりをしているし、無駄口を叩きながらじゃないと調子が出ないし、そのくせ自分が集中しはじめると誰とも口を聞きたくなくなる。

ぼくは一度も転職したことがないのをちょっとうしろめたく思ってたりするのだが、しかし今さらまともな職場で働けるイメージもない。

振り返ってみるに、基本的にぼくは昔から生活態度が悪い。

規則正しく暮らすことが苦手で、試験も一夜漬け、面白い本を読み出すと朝まで読んでいて、学生の頃は昼はずっと寝ていたりした。

そんな態度で生きてる人間でもなんとかまともに働けるようにスイッチを入れてくれるのが一杯のコーヒーであり、それを誰にも邪魔されずにゆっくり飲める場所が喫茶店なのである。

だから喫茶店で一人でぼうっとしている人間なんてのはだいたいまともな人間じゃなくて、ちゃんとした人はいつだって規則正しく暮らし、無駄な時間を使わず、やるべきことを終わらせて、あとはしっかりと楽しみ、充実した毎日を送っている。


茶店は好きだが、仕事中にわざわざ昼飯を食べに行くのが最近はあまり好きではない。

行ったり来たりする時間がもったいないし、会社の人とばかり食事をするのも飽きたし、コンビニで食べたいものだけ選んで自分の食べたいときに食べる、というのも悪くないなと思いはじめた。

外食すると、ラーメンとカレーはなかなか同時に食べれないが、コンビニなら簡単だし、栄養バランスがどうとかうるさいことも言われないし、言われないのに他人の目を気にして妙な注文内容になったりせずにすむ。

自分はまともな人間じゃないくせに、なんとかまともなフリをしなきゃいけないと思っていて、そういうのに飽きてきたんだろう。


ただまあ突っ張っているわけではなくて、まともじゃないからこそできることは意外とこの世界には色々あって、むしろまともじゃない部分を、世の中にちょっとでも役立つようにするかがミソで、そのときだけはちゃんと目覚めた状態でいなきゃいけない。

そのためには、錆びかけた活動スイッチを入れ直す儀式が必要で、その降霊の儀を執り行う場所が喫茶店なのだろう。


どっちにしたってまともな人間のやることではない。