データを捨てよう街に出よう

 

 

 

人と話していて気づいたのだけれど、いくらネットに転がってる誰かの文章を読んでわかった気になったり、データを渡されて何かを知った気になっても、それでうまく事が運んだ経験があまりない。

 

 

 

その場に行って自分の目で確かめたり、人と直接会って聞いたり、実際に試してみたりしないと、いいアイデアはなかなか思いつかない。

 

それは一体なぜなのかと考えるに、ぼくは、ぼく以外の誰かからどれだけ大事な情報を提供されても、それを自分自身で見つけた!と思えなければ、ワクワクしないからだと思う。

 

イデア探しは冒険だ。

 

目的地がどこかもわからず、わかったとしても無事にたどり着けるかわからず、仮に何かを手に入れたとしても、無事に帰って来れるかわからない大冒険だ。

 

あらかじめ目的地がわかっていて、そこにたどり着けるのが当たり前、というような行程を、はたして冒険と呼ぶことができるだろうか。

 

多くの人たちが踏みしめてすっかり歩きやすくなった道を、ただ安全に歩き、みんながこぞってありがたそうに受け取りにいくデータというただの文字列を、自分も同じようにうやうやしくいただいて、何かしたような気になって帰ってくる、そんな道中に何か新しいものは見つかるだろうか。

 

あるいは、大冒険の末に素晴らしいアイデアを手に入れたとしても、なんだそんなのはデータの通りじゃないか、と言われてガッカリすることもあるだろう。

 

しかし、本当は落胆する必要なんてなくて、苦労して手に入れたそのアイデアは、やっぱり大事な宝物なのだ。

 

なぜなら、それが物事を決めるときに一番大事な、意志となるからだ。

 

データが指し示すのは現在の自分の位置でしかない。

 

自分がどこに向かえばいいかは、自分で決めるしかないのだ。

 

見つけたアイデアにこだわり、吟味し、そこからまた歩いていくしかないのだ。

 

そんな孤独な旅を続けてまで、手に入れたいものなんてあるだろうか、とはよく思う。

 

だけど、ぼくは見たい、自分の足で歩いていった先に、誰も見たことのない、なんとも素晴らしい光景を。

 

そのために生きてきた、と思えるような美しい大地が広がっているのを。

 

 

さあ今すぐ、データを捨てて、冒険をはじめよう。