何かを純粋に楽しむのが、ずっと苦手だ。

若い頃から、すごく楽しいことがあっても、それを何もかもを忘れて夢中になって楽しむことが苦手だ。



楽しい瞬間は、永遠に続かないことがわかっているからだ。

それよりも、将来のためにやっておくことがたくさんある、と思って我慢していて、その結果、ちょっと息抜きのつもりで始めたくだらないゲームに大量に時間を使ってしまったり、どうでもいい他人の話を聞いているうちに無駄な時間がどんどん過ぎていったりして、とても後悔するのである。

それだったら、ちゃんと時間もお金も使って、たっぷりと楽しんだほうがよかった、と後悔するのである。


それじゃどういうときなら、自分は安心して夢中になれるのかというと、結局はそれをやっていることが意味のあることだとか、将来に役立つことだとかという保証のあるもので、だからぼくは夢中になれる仕事をしたい、といつも言っているような気がしてきた。

実際は、仕事をしているからといって意味があるかどうかわからないし、それが将来役立つかどうかなんて全く約束されない。

結局は、仕事だからという言い訳が欲しいだけなのだろう。


人間とは、なかなか面倒な生き物だ。

何かに夢中になる、という状態になるには、色んな口実を与えて、その強固な武装を解いてやらなければいけないのだ。


とかく世の中は、意味のないことで盛り上がったり、お金にならないことに夢中になったりする行為を否定しがちだ。

しかし、たまには無防備になって何かを夢中に楽しむ時間を過ごしておかないと、いざ自分の人生が終わる段階になって、さて自分は何のために生きてきたのだろう、とかモヤモヤしはじめるような気がする。

それよりは、ああ、自分の人生には大した意味はなかったけど、しかし色々と無駄な遊びに夢中になって、しかしまあ楽しかったなあと思ってニヤニヤしながらエンディングを迎えたいなあと思うのである。


もうちょっと肩の力を楽にして、ヘラヘラと生きていこうと思う。