昔からなんの補助線もないところにまっすぐ線が引けない。
場合によっては、補助線があってもちゃんと引けない。
はじめはすーっと引き始めるのだが、すぐに、ぐにぐに、と曲がりだし、そのうちあっちにこっちにと大きくゆがみ、思っていたところとは全然違うところに向かってしまう。
定規で線を引くのも苦手だ。
どこからどこまで引くのか、というのを確認している時から頭がクラクラするし、実際に引くとなると定規に沿って線を引くだけなのに変なところに力が入って、定規ごとあっちの世界へと旅立ってしまったりする。
なぜそんなに線を引くのが苦手なのか、ちゃんと考えたことはないが、むしろなぜ他の人たちはちゃんとまっすぐに線を引くことができるのだろう、とは思う。
まっすぐ線を引くには、出発点を明確にし、ゴールを正確に見定め、そこへ向かって迷いなく進む力が必要だ。
目標まで進む中でさまざまな困難が待ち受けている。
目に見えない紙のデコボコが潜んでいるかもしれないし、つい力が入りすぎて穴が空いてしまう危険だってあるし、実は最初に打ち立てたゴールの位置が間違っている可能性だってある。
そんな数々の不安に打ち勝ち、己の信じる道を突き進む、そういう鋼の精神をなぜ誰もが持つことができるのか、不思議で仕方がない。
ところで、じゃあぼくはどんな線を引くのも苦手なのかというとそんなことはない。
ぐにぐにと曲がった線や、あっちに行ったりこっちに行ったりする線や、それがまた元に戻ってくる線を描くのは大好きで、なぜならそうやって線をあっちこっちに迷わせているうちに、本当に自分が進みたい方向がわかってくるからである。
この線をただ一本だけ、正しく、そして美しく引く。
ぼくにはそれができない。
だから、そういうことができるすべての人がうらやましい。
しかしできないものはしかたないので、ぼくは何度もあっちに行ったりこっちに行ったりしながら、なんとなくの輪郭を描き、そこからちょっとずつ自分の思いを注入していくしかない。
もっといい方法はないのか、とは思うけど、もう人生も後半となると苦手なことに時間をかけているヒマがあったら、できることを磨くほうが、少しはマシなんじゃないかとも思っている。
どっちみち人生なんて、一発でまっすぐに進めるようなものではないのだし。