四月は、一番苦手な月だ。
いい思い出がほとんどない。
入学、進級、入社、新年度、だいたい張り切りすぎて早々に息切れしてきて、何かを失敗する。
それらを振り返ってみるに、ぼくは順応性が決して高いほうではなく、しかし無理に順応しようとするせいで、悪い結果を招くケースが多いのかもしれない。
学級委員に一番乗りで手を上げたり、勝手にチームを作ろうとしたり、難しい課題に応募したりするのだが、だいたいうまくいかず、特別に仲のいい友だちもできず、しょんぼりと連休を過ごし、だいぶ時間が経ってから他の、ぼくが知らないうちに着実に、堅実に育っていたコミュニティの中に混ぜてもらい、ほっと息をつくのである。
四月というのはそういう自分の苦手な部分を強く意識させられる、辛い時期だ。
ぼくはもともと、さあみんなで一斉にスタートです!ということ自体が苦手で、なんでみんなで一緒にスタートを切らなきゃいけないのだ、それぞれのペースがあるじゃないかと思う。
五月過ぎてからじゃないと活動的になれない人もいるし、暑くなってこないと調子が出てこない人もいるし、逆に寒い時期のほうが頑張れる人もいる。
あるいは個人的なトラブルがあって今すぐ立ち上がれない場合もよくある。
人間はそういう時に支え合えるように、わざわざ集まって暮らしているのである。
経済効果を最大化するためだけに、毎朝鉄の箱に押し込められて圧死しそうになりながら通勤しているわけではない。
多様性というけれども、それは目に見える違いだけの話ではなくて、人はみんな違っている。
その日の体調も、気分も、予定も、家庭の事情も、好きな食べ物も、嫌いな音楽も、楽しいと思える時間の過ごし方も、すべて違うのだ。
それを無理やり横一列に並べてさあ一斉にスタートです!とやられることに気持ち悪さを感じるのである。
もちろんそうしなきゃ始まらないこともあるし、当人たちが納得の上、あるいは楽しみにしている場合もあるだろうから、なんでも反対だというつもりはない。
ただ、絶対にみんなと同じタイミングで同じ姿勢で同じスタートを切らなきゃいけない、なんてのは受け入れづらいし、とても疲れる。
なんだかノラない時は、無理に走り出さなくてもいい。
たとえ周りの人が全速力で走り始めたとしても、焦らずに自分のペースを作っていけばいい。
残念ながら、ぼくらの人生はそんな一瞬のうちに全てが決まってしまうような作りにはなっていないのだから。
たいていの場合は。