うれしかったこと、救われたこと。




さまざまなおもしろい業界に関わることがあり、そこにいる人たちに影響を受けて考えが変わることが多い。



そうしないと生きていけないから仕方なく染まる、という面も大きいと思う。

その場その場に影響を受けながら変わっていくのが人間なのかもしれない。

だが、そんな中で、特別うれしかったことや、救いとなった経験というのが、それなりに年齢を重ねた人なら、誰でもひとつはあるのじゃないだろうか。

小さい頃に人形に服を作って着せているのをほめられたのがうれしくてデザイナーになった人がいる。

職を失って公園でぼんやりとしていたときに政治家の演説を聞いて政治の世界に踏み出した人がいる。

孤独の中、文章を書くことで自分の言葉を取り戻し、小説家になった人がいる。

そんな極端な話ではなくても、何かちょっとしたきっかけが、ぼくらのちょっとした一歩、しかしこれまでの自分だったら選ばなかったような新しい一歩を後押しして、そうやって人生は作られていく。

人生というのは、そんな良い話ばかりじゃないと言う人もいるだろう。

常に現実を見て、状況を冷静に把握し、優先順位をつけて、感情に振り回されずに的確に行動するべきだと言う人もいるだろう。

いっときの興奮などで人生をめちゃめちゃにせず、堅実に生きるべきだと言う人もいるだろう。

しかし忘れちゃいけない、そう言う人たちの誰もが人間であり、非合理で不明瞭な決断を下していることがあるのだということを。

ぼくらは機械ではなく、不安定で未完成な感情を持った生き物なのだ。

だからぼくはもっと自分の声をちゃんと聞かなきゃと思う。

勇気を出してやってみたら、思わぬ人からほめられて、うれしかったこと。

地獄のような日々の中で、一筋の光に出会って救われたこと。

そこで感じたことが、ぼくの今とこれからを作っている。

そうやってぼくが踏み出した一歩は、いつかまた誰かの一歩につながるだろう。

理想になれなくても、肥やしになればいい。

そうやって、ぼくがうれしかったこと、救われたことが、ぼくの手から離れ、誰かの力になる日まで。

ぼくは自分の夢にいつまでも、みっともないほど執着していよう。

いつかやってくる、その終わりの日まで。