教養は、なぜ必要か。





最近経験したいくつかの失敗について、今後のために記載しておくこと



・相手に急ぎでお願いしたいこと、今すぐ動いてほしいことは、メールやSNSなどではなく直接会って伝えるか、会えない場合は電話で伝えたほうがよい

・どうしても動かない相手に対しては、無理にこだわらず、別の人物、別の方法へと切り替えたほうがよい

・トラブルが起きている、誰かが非常に怒っている、これに対応しないと降格になる、などのネガティブな動機のほうが、人が動く場合が多い、残念ながら

・ポジティブな動機、なんていうけれども、多くの人が共通して動こうと思うものなんて「お金」とか「出世」ぐらいしかない、残念ながら

・自分自身が「面白そうだ」という動機で行動することが多いからといって、他の人々がそうだとは限らない、残念ながら

・それがわかったうえで、人に動いてもらわなければいけないときは、ネガティブな動機づけを行うことも含めて色々と手を打ったほうがよい

・当たり前だが、人に動いてもらうときは「何を、いつまで」を明確にする、意外とちゃんと伝わっていないこともある



それはそれとして、気づいたこと



・おいしい食べ物や面白い本、良い音楽、日本と世界の歴史などいった「教養」は必要だ、などというけれど、さてそんなもの本当に必要だろうかと思っていたが、やっぱり必要だと思った

・それは、明らかに役に立つ場面があるからである

・おいしい食べ物を知っていれば、それを相手にふるまうことができる

・面白い本を知っていれば、それを相手に紹介することができる

・良い音楽を知っていれば、それを相手に聴かせることができる

・歴史を知っていれば、それを相手と共有し、今いる場所を確認しあうことができる

・つまり、教養があれば、もし他に自分が何も持っていなくても、他人に提供できるものがある

・この世の中で欲しいもの、手に入れたいものがあったとき、じっと待っていたってそれは絶対に手に入らない

・かといって、「ください」と一方的にお願いしたって無理だ

・まずは自分から何かを差し出す必要があって、しかし多くの場合はそんなものなど持っていない

・しかし、教養があれば、なんらかのものを差し出すことができる

・アニメや、アイドルや、マンガなども教養になりうる場合がある

・もちろん、それを差し出したことで、相手が欲しいものを提供してくれるとはかぎらない

・でも、少なくともお互いの間に、何かしらの共通点が生まれる

・そこからは自分の腕にかかっている、しかしそこまでのチャンスならば手に入れることができる

・チャンスをつかんだら、しがみつくしかない

・ネガティブな方法であろうと、ポジティブな方法であろうと、無我夢中でしがみついて、少しでも前に進めるしかない

・とにかくじっとしていも事態は何も変わらない

・若者も、中年も、老人も、もう戻ることはできない、前に進んでいくしかない

・そのために教養は必ず武器になると感じた

・教養の本質は何か

・相手への愛だろう

・それを知ること、与えられることの喜びを共有する、それが教養だろう

・ともに知の冒険へと出かける喜びを共有する、それが教養だろう



ざっと思いついたことを書いただけなので、まったく筋は通っていないが、とにかく前に進んでいくしかない