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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

停滞感が、大好物です。





長いあいだ、ずっと悩んでいた。




これまで、それなりにやりたいことはやってきたけれども、この数年は完全に停滞してしまっていた。

もちろんブログを通して自分の考えを書くことで、ぼくの中で「変わらず大切にしたいこと」を確認することはできたし、そのおかげで新しいことに挑戦する勇気を与えられていたのも確かだ。

しかしまあ新しいことにチャレンジするたびに、当然ながら失敗という名の成果が与えられることは多いし、それを繰り返していると本当にこれでいいのだろうかと(いくら自分のことが大好きなぼくであっても)自信がなくなっていくものである。

だけど答えはもうそこにあって、つまりぼくはそうやって悪あがきしてでもいいから、何か停滞してしまっていてモヤモヤしている状態から、少しでも先にものごとを進める、そのこと自体に強く関心を持っているのだ。

最近、ぼくがうれしいと思った瞬間を、いくつか挙げてみる。


・なかなか次のアクションが決まらない大会議が数ヵ月続いていたのだが、5人のコアメンバーだけで集まって打ち合わせをしたら、良いアイデアがたくさん生まれ、話が一気に進んだとき

・ある組織を作る計画を手伝っていて、その組織がいよいよ本当に稼働することになり、実際に部屋ができ、そこで何人もの人たちが働き始めているのを見たとき

・なかなかトイレで用を足そうとしない子供をなだめたりすかしたり苦労していたが、ある日急に自分からトイレに行くと言い出したとき

・そして、このような瞬間をうれしいと思う自分自身に気づいたとき


若い頃はこういうことをうれしいとはあまり思わなかった。

それよりも、自分が良いアイデアを思いつくことや、それが作品となって世の中に発信されることのほうがずっと重要だった。

イデアによって、自分自身の承認欲求や自尊心が満たされるほうが大事だった。

だからといって、いまのぼくにはそういった欲望がなくなってまるで聖人か仙人みたいな境地に達したというわけではまったくない。

興味のありかが変わっただけだ。

なにかがひとつ先に進むとき、そしてそのためのアイデアを誰かが思いついたとき、みんなとてもいい顔になる。

どんよりしていた目に光がやどり、静かだった部屋がみんなの声で騒々しくなり、退屈な空気が一気に吹き飛ぶ。

ぼくはあのときの気持ちよさがたまらなく好きだ。

中毒といってもいいかもしれない。

だけど、その快感に出会うためには残念ながら自分ひとりではダメなのだ。

停滞を打破する喜びを得るには、停滞が起きている状況と、それにモヤモヤしているメンバーと、しかしなんとかしなくてはという怪しいガスのような不穏な空気が必要なのだ。

あらゆる冒険活劇に、それらが絶対に必要であるように。



ぼくはこの冒険に必要なアイテムや、武器や、パーティや、欲しい地図を探し、用意する人になりたいとだんだん思うようになってきた。

自分でできないことは誰かもっと得意な人に頼めばいい。

やり方はなんだっていい。

そういう世界ののぞき方を一度手に入れると、世の中における、だいたいの停滞状況が、全部やりごたえのありそうなゲームフィールドに見えてくるのである。

とは言いながら、まあ飽き性なぼくのことだから、この先また新しいレンズに取り替えることもあるのだろう。



もし、また新たな停滞感に出会えたら、の話ではあるけれども。