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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。



平日の昼間、クリスマスプレゼントにもらったラジコンカーをどうしても公園で走らせたいと子供が言うので一緒に行った。



その日はぼくは休暇を取っていたのだが、世間的にはまだみんな働いている普通の平日の昼間だったので、あまり人もいなかった。

しばらくラジコンカーを走らせて遊んでいたら、子供が急にウンチをしたいからトイレに行くと言い出した。

トイレは公園の少し奥のほうにあって、そこにはブランコや滑り台や砂場があり、ちょっと目が行き届きにくい場所だ。

昼間だといってもなんとなく物騒なので、ぼくは子供に付いていって、トイレの前でラジコンカーを預かって、外でじっと立って待っていた。

退屈なので周りを見回すと、小さい子供と若い母親たちが数人いるだけで、大人の男はぼくだけだった。

これはなかなか危ない感じの人間に見えかねないと思った。

ぼくはいま、平日の昼間から働きもせずに、子供たちとその母親たちしかいない公園のトイレの前でじっと立ち尽くしている中年のおっさんなのだ。

状況は極めて不利である。

普段は平日の昼間に公園に来ることはないから、周りには自分が知っている人物は誰もいない。

おまけに家の鍵以外何も持たずに外出したから、身分を証明できるものも一切持っていない。

何の社会資本も持っていない、危険な状況である。

ただ手にしたラジコンカーとリモコンだけが、ぼくのいまの状況を伝えることができる命綱だ。

しかしそれも、頭のおかしいおっさんがラジコンを大事そうに抱えて突っ立っているのだと見ようものなら、十分にそう見えるのである。

ぼくは焦った。

焦って、トイレに向かって、まだ出ないのかと大きな声をかけた。

これがいけなかった。

母親たちの何人かがこちらを見たような気がした。

何あのおっさん、いまトイレに向かって何か叫んでたんだけど。

彼女たちはきっとそう思ったに違いない。

怪しいと思ったに違いない。

ぼくはますます焦って、もう一度、ウンチ出たかと大きな声でトイレに向かって叫んだ。

ところがまだ子供は返事をしない。

まずい。

これでは完全に、ぼくは真っ昼間から仕事もせずに、ラジコンカーを大事そうに抱きかかえ、公衆便所の前に突っ立ったまま、ウンチウンチと叫んでいる、本当に危ないおっさんである。

すっかり取り乱したぼくはラジコンカーを抱きかかえたままトイレのドアまで駆け寄り、ドアをノックして、まだウンチ出ないのかと、いやもう出ても出なくてもどっちでもいいからとにかくそこにいることを証明してくれ、そこにウンチをしている子供がいて、ぼくはそれをただ待っているだけの善良な一市民であることを証明してくれと懇願するようにノックを続けた。

しかし子供というのはそんなにうまく言うことを聞いてくれるものではない。

ようやく用を足し終えて子供がトイレから出てきた頃には、ぼくは憔悴しきっていた。



自分を実際よりも良く見せようとするのもなかなか難しいけれど、年を取ると、自分が実際に無害な人間だということを伝えるのが難しくなってくるような気がする。

別に昼間の公園でなくても、たとえば若い人ばかりの職場で仕事をする時には、ぼくは決して何か偉そうなことを言おうとはしていない、上から目線で何かめんどくさい話をしようとなんて決して思っていない、ということを発信するのに骨が折れるし、向こうも向こうで、このおっさんを一体どのように扱えばいいのかわからない、と明らかに困っていたりもするのである。

これは今までは出くわしたことのない種類の問題である。

だから、ぼくはこの問題に対しての答えを何も持ち合わせていない。

持ち合わせていないなりに一つ仮説があって、それは「できるだけ同じ場所にとどまらない」ということである。

おっさんというのは若い人よりも体の中で流れている時間のスピードが遅いので、そこに存在するだけで妙に質量があり、口から発する言葉も毛穴から放出される熱やらガスやらもやたらと濃厚である。

だから、一か所にじっととどまるのではなく、必要なことをサッと済ませたらサッと退場し、別のところへとサッと移動し、またそこで用事をサッと済まして、サッと去る。

これを心がけていれば、他人に迷惑をかけない、おっさんにしてはまずまず清潔感のある人間である状態を保つことができるような気がする。

なんとなく周りを見ていると、ぼくが好感を持っているおっさんというのはそういうことを実行しているように見える。


おっさんというのはできるだけ実体を持たず、概念的な存在になっていくべきなのだろう。

周りからあのおっさんってほんと変わってるよね、とか、でもおっさん最近陽気だよね、とか、そういう他人が語る形で立ち上ってくるような、蜃気楼のようなおっさんになるのがぼくの理想である。



しかしその道のりは大変険しそうである。