今月のハーバードビジネスレビューに糸井重里さんのインタビュー記事があって、仕事は楽しいだけじゃやっていけない、お金儲けも組み込まないと踏ん張りがきかない、というようなことをおっしゃっていて、ああそうか、と思った。
いくら楽しいことやワクワクすることに取り組んでいても、ちょっとイヤなことがあったり面倒なことがあると、つい逃げ出したくなる。
お金が関係していれば、いやここでもうちょっと頑張らなくちゃと、腹がすわるということなのだろう。
たしかに、一度覚悟が決まってしまうと、逆説的だけれどすごく自由になれる気がして、ああオレはもうここで食っていくしかないんだな、と思ったとたん、だとしたらどうやったら食っていけるのか必死に考えはじめる、そのプロセスはひどく自由意思に満ちている気がする。
もちろん誰だってそんな追いつめられた状況になるのはイヤだし、腹がすわるとか覚悟が決まるとか、ずいぶんいかつい言葉ばかりが飛びかう日常なんて居心地がいいわけがない。
だけど、やっぱりめいいっぱい楽しもうと思ったら「ニギリ」にはこだわったほうがいいのだろう。
遊びが楽しいのは、遊び自体が目的となっているからだ、と最近教えてもらった。
そして遊びという目的に向かってひたすら遊び続けられるのは、そこに約束ごとがあるからだ。
自分で約束するにせよ、誰かに無理やり約束させられるにせよ、そうやって「覚悟を決める」作業があるからその先に、めくるめく悦楽に満ちた、夢中になれる時間がやってくる。
ぼくは自分なりに退路を断って、目の前のことから逃げないことを決めたつもりだったけれど、しかし心のどこかでお金なんかどうでもいい、他にもっと大事なものがある、そう思っていたような気がする。
当然のことながら、お金より大事なものはたくさんあるのだ。
しかし、そういうものは、自分の命というもののかけがえのなさを知り、それが尽きるまでの大切な時間を余すことなく使うことができていると、そう自覚している人の考えることなのだ。
お金のようなわかりやすいことにも真剣になれないのに、どうしてそれ以上に大切なもののために力を尽くすことができるだろうか。
こうしているうちにも人生の残り時間は減っていく。
お金儲けよりも大事なことがあるんだぞと偉そうなクチが聞けるように、いまはみっともないくらいに、踏ん張りたい。
かっこつけてるヒマなんてない。