偉大なる、暗闇。


こんにちは、サードブロガーです。


偉大なる暗闇、という言葉を司馬遼太郎氏の著書の中で見かけて、それは色んなことを色々知っているけど何かを体系だてて理解したりそれによって新たな知恵を生み出したりはしていない人物なり状態を指すみたいで、いやはやぼくは偉大でこそないが立派な暗闇だなと、嫌になるくらい痛感した。

少し知っていることがあるとすぐに言いたくなるし、ちょっと思いついたことがあると誰かに伝えたくなる。

だけど、それはすべて細切れのもので、お互いにつながらない。

つながらないから力が伝わらず、周りを照らすこともできないし、何も動かせない。

ちゃんとつながっていく人とは、何が違うのだろう。


なんとなく思うけど、つなげられる人は、自分は暗闇である、と思っているんじゃないだろうか。

自分が暗闇であるからこそ、どこが暗くて、そのせいで誰が困ってるかがわかる。

しかし、なぜ明るくできないかがわからなくて、その原因を知ろうとする。

そういう心の動きが起きているのじゃないだろうか。


自分が知らない、わからない、ということを認めるのはとても難しい。

だけどまあ、自分が暗闇であることを、あんまり深刻に考えないようにしたい。

暗闇が多いほど、明かりに照らされて世界の本当の姿を目にする驚きと喜びがたくさん残されているのだ。


肩の力を抜いて、丁寧に明かりを灯していきたい。