マンガや小説の主人公の設定で「仕事は天才的だが人の心がわからない」というようなものを時々見かける。
そのたびにぼくは「人の心がわからないのに天才的な仕事なんてできるのかよ」と思ってしまう。
しかし時折、実際にひどく優秀なのに「人の心がわからない」あるいは「人の心を考えるのが苦手」という人物に出会うことがあり、決して無理な設定ではないのかもしれない。
大切なのは、こういう人たちは人の心が「わからない」のであって、「わかろうとしない」のではない、ということだ。
むしろわからないからこそ、色々な可能性を想像して手を打ったり、他の人よりも深く検討していたりする。
ぼくのように中途半端にわかったつもりになって、そこにあぐらをかいて何もしない、なんていう態度はとったりしない。
実際のところ、人の心なんてものは誰にもわからないのである。
当の本人だって毎回の自分の行動の理由がすべてわかってるわけではないのだから。
そういうあてにならないものについて考える代わりに、何か他のものを目安としてみたり、あるいは過去に起こった事実を集めて参考にしてみたりして、人は、人の心の動きをとらえようとする。
人の心が「わからない」と言っている人は、そういうあやふやなものを土台としてぼくたちの生活が成り立っていることをわかっているのだろう。
問題は、わかっていると思いこんでいるぼくのような人間が勝手な思い込みで活動することのほうであり、そういう人間こそ、もう一度人の心を見つめ、認識をあらためる必要がある。
やっぱり人の心なんてわからない、ということへと。
新しい旅は、そこからはじまる。