犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

日記を、書く。


あんまりブログで日記を書いたことないな、と思ったので書いてみる。



4月から家庭も仕事もがらっと環境が変わるので普通に余裕がない。

よく言う話で人間には三つの余裕が必要だという。

金の余裕、時間の余裕、心の余裕。

その三つがないとモテないんだと誰かに言われたが、それであれば今のぼくは全くモテない、しかし今はいくらモテても何もありがたいことはないのでどうでもよろしい(いっぺん言ってみたかった)

それでもぼくは元来ぼんやりしてる人間なので心の余裕はだいたいあるのだが、今回ばかりはあんまりゆとりがない。

少し前からなんだけど、自分の中で流れる時間にはっきりした区切りがなくなってきて、仕事から帰って育児、育児中に友人からの電話があって相談に乗る、そこからまた育児に戻ってようやく就寝、就寝しててもどこかで明日の仕事について考えてる、みたいなシームレス感がずっと続いている。

別にそれ自体は問題視してなくて、やりたいこととやらなきゃいけないことを足し算していくとそうなっちゃうだけなんだけど、若い頃のようにひたすら寝たり、ひたすら働いたり、ひたすら遊んだりというメリハリがなくなったのは、ちょっとさみしい。

今日、上司と話してて「サラリーマンにはターニングポイントがある」みたいな話になり、あらそういう話ならとあるブログでいつも読んでますみたいなことは言わずに黙って聞いてたんだけど、要は関心事を自分自身のスキルアップなりプレゼンス向上にだけしぼりこんでその道を突き進み続けるのか、同僚なり組織なりの未来についても考えた選択をするようになるのか、みたいなまあ普通の話なんだがたしかにそうだなあと思った。

ぼくはこれまでずっと自分のことばかり考えて働いてきたんだけど、これからは自分以外の人間も含めた幸せ(もっと良い言い方があるはずだが仮にそれを幸せと呼ぶ)について考えて行動していきたいと思っていて、しかしそれはなかなかめんどうな選択だなとも思う。

それについてばかり考えてると、こうカサカサと乾ききった感じとゆうか、頭の中のメモリが足りてない感じがする。

何しろそういう考え方をベースにした行動をしてきてないので何にも知見がないし、両親のせいにするつもりはないが2人ともデザイナーとゆう専門職を全うしてきた人たちだ、いや、デザイナーが他人に関心がないわけではないし、これはデザイナーへの誤爆なんで訂正するけど、しかしどうも組織だのコミュニティだのといったものへの深い理解や愛着みたいなものは、まったくぼくには受け継がれていないようだ。

周りにはいとも簡単にメンバーの状況を把握したり、的確なアドバイスや指示を出せる人間がたくさんいるし、書いてて思ったけど、スポーツ経験者なんかになるとますますその傾向は強くなる気がするが、当方はそのへんからっきしで野球の話でみんなが盛り上がってる場面なんぞではただただ無言でニコニコする以外に手段を持っていない。

とはいえ、ぼくはぼくで自分本位な生き方をしてきた人間なりのやり方でやっていくしかないし、たぶんそのやり方は全くエレガントじゃないだろうことはわかってるし、もう40を前にしての進路変更は果たして間に合うんだろうかみたいに思うのだけど、どっちみちこれからも今夜の空みたいにちょっと闇のねばっこくて濃い感じがしばらくは続くだろうし、しかしじっとしてても何も始まらないし、むしろもうそのヤバい一歩は踏みこんじゃったので、なんの余裕もないけど進んでいこうかと。


とまあ、ブログを書く余裕はあるということで、ひとつ安心材料を胸に少し眠ろう。