犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

自分がいなくなった世界は、続いてほしいか。


ぼくは、自分のことが大好きだ。



どれだけ追い詰められている状況であっても、「あーこんなヤバい状況にいるオレも・・・なかなかいいなあ・・・」と思っている。

もちろん、失敗したり何かやらかしてしまった時は、穴があったら隠れたいとは思うのだけど、たぶん逃げ込んだ先のその穴で、また「いやあこんなところで縮こまっている自分も・・・悪くないなあ・・・」とか思っているだろうから始末に負えない。

そんなぼくなので、これまでは、自分がこの世からいなくなったあとの世界について全く興味がなかった気がする。

大好きな自分が存在する世界のことだけ考えておけば、あとはどうなろうが、どうでもよかったのである。


しかしまあ、家族ができたり、ブログを通して素敵な出会いがあったりして、ぼくは最近ようやく自分自身以外にも大切だと思える存在が増えてきて、それはとても楽しいことなんだけど、一方ですごく不安だったりする。

これまでは自分のことだけ考えておけばよかったわけで、何かをやらかして死んでしまったとしても、それはそれで仕方がないことだった。

だけど最近は色んなことが気になって仕方がない。

もちろん子供のために何かを残しておかなきゃとかというのもあるけど、そういうことだけじゃなく、あの人は無事に夢をかなえることができるんだろうかとか、あの人にはいつ穏やかな生活が訪れるのだろうかとか、ほんとお節介もはなはだしいんだけど、自分自身がいっぱいいっぱいの状態のくせに、気になってしまうのである。

こういうのを未練というのだろうか、仮にぼくが今急に死んでしまったとしても、自分がいなくなった世界のことが気になって、何かをやりくりして、覗きに来てしまうように思うのだ。


当然のことながら、今のぼくにはそんな余裕などないのである。

自分が生きるためにやらなきゃいけないことが山積みになっている。

だけど、そんな状況の中でもつい、ぼくがいなくなった世界はどんな風になるのだろう、と思いを馳せてしまうし、自分がいなくなってもみんな楽しく暮らしてたらいいなあとか、本当に傲慢なんだけど思ってしまう。

まあ、ぼくがいなくなっても、この世界にたいした影響は起こらないだろうし、むしろ影響なんかあってほしくない、そんなめんどくさい話はお断りである。

ぼくが関心があるのは、そういうことではなく、もっとあやふやな、祈りのようなものである。


さて、このあたり、みんなはどう思っているのだろうなあ。