犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

クリスマスが犯した、最大の失敗。

 
 
 
 
 
この国を代表するクリスマスソング、山下達郎さんの「クリスマス・イブ」は、失恋の歌だ。
 
 
ぼくも、恋人がいない時に寂しく過ごしたクリスマスのほうがはっきりと記憶に残っていたりして、どうもクリスマスというのは、孤独な気持ちのほうが似合う日なのかもしれない。
 
クリスマスの時期、仲良く手をつないでいる恋人たちやプレゼントを選んでいる親子はだいたい笑顔で、とても幸せそうに見えるし、そうではない人間にとっては、自分とのコントラストを強く感じさせる、ひどく寂しいシーズンなのだ。
 
 
それにしても、不思議だなあ、と思う。
 
そういう幸せそうな人たちが街じゅうにあふれかえる光景というのを、年中見かけるわけではないからだ。
 
別にクリスマスにこだわらず、いつだってみんな幸せそうに歩いていればいいものだが、普段は不機嫌な顔ばかりが目につく。
 
そりゃまあみんな毎日を懸命に生きているからだし、決して生活は楽ではないわけで、仕方がない。
 
だけど、「はい今からクリスマスですよ」とみんなで確認した途端に、どこからともなくにこやかな男女がわらわらと現れて、明るい色の服をまとって、幸せそうに街を闊歩しはじめる。
 
他人事のように言うけれど、ぼくだって年末が近づくとなにやらウキウキとした気持ちになってくるし、色々と山積みになっている仕事のこともなんとなくどうでもいいやという感じになって、ちょっと今日は外に出かけようかなと思ってしまうから、本当に不思議なものだ。
 
 
こういう現象は、社会構成主義的にいえば、要はみんなで「クリスマスはみんながお互いの幸せを願うもの」あるいは「初詣は自分たちの幸せを祈るもの」のように社会的な合意を形成しているから起こるものであり、人間というのはそうやってお互いに何かを示し合わせて行動すれば、ちゃんとその気になってしまうということなのだろう。
 
みんな、一年間を生き抜くのはなんだかんだいって大変だけど、終盤ではお互いにお互いを思いやりましょう、とか、新年は自分自身についてもちゃんとケアしてあげましょうとか、これはこれでなかなかよく練られた合意なのである。
 
だとしたら、クリスマスだけでなく、人と人がお互いの幸せを願いあう日をもっと増やせばいいのになと、最近は思う。
 
クリスマスが犯した最大の失敗は、それを一年に一回だけのものとして設定してしまったことである。
 
一年に一度しかないから、みんなそれぞれの人間関係における優先順位にこだわってしまって、くだらない、恋人と家族のためのクリスマスみたいなことになっちまうのだ。
 
一年に何度もチャンスがあれば、もっと自分の周りの人たちのことを考える気にもなるはずだ。
 
友人と楽しくすごせる日や、前から微妙に関係がこじれている人と腹を割って話しあう日や、これまで一度も話したことのない人との距離を近づけられる日や、色々な機会が増えれば、もっとみんな笑顔で外を歩けるんじゃないのだろうか。
 
 
などとここまで書いていて気づいたけど、別にそんなものは、何か世の中的に制定されなくても、勝手にやればいいのだ。
 
毎月25日は自分以外の誰かの幸せを願う日と勝手に決めて、実践すればいいだけの話である。
 
普段は自分のことばかり考えて行動しているのだから、月に一回くらい、態度を改めたほうがよさそうだ。
 
来月からは、しばらくそういうのをやってみようかな。
 
 
とまあ、ぼくのようなとても自分勝手で自己中心的な人間でも、他人の幸せについて考えてしまうくらいだから、それなりにクリスマスというのも機能しているような気がする。
 
 
 
このブログを読んでくれているあなたに、幸せが訪れますように。