犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

コンパスを、2つ持っていますか。


他の人がどうなのかわからないけれども。



ぼくは仕事をしていると、つい、どんなことでも広い視野で見ようとしてしまう。

往々にしてサラリーマンは専門的な知識よりも色んな分野についてそれなりに知見があったほうが役に立つことが多いし、年をとって自分が関わる世界が広がっていくと、ひとつひとつの小さなことにこだわっていてはキリがないし、ぼくには(そして誰にとっても)残された時間はそんなにない。

そう思っていた。

ところで、そうやってものごとについて何でも広い視野で見ようとしていると、ちょっとだけ気になることがあっても無視するようになる。

全体像さえ見えていれば、どうでもいいようになる。

実際、それで特に仕事に支障があるわけではない。

ただ、とてつもなく、つまらなく感じるようになった。

ああどうせ自分のやってることは、こういう全体像におけるこのへんの話なんだなとか、こういう仕組みになってる業界のこの部分をちょっといじってるんだなとか、そう思うと、で、それの何が面白いのだろう、と感じるようになった。

そこには「ときめき」がない。

未知の世界に踏みこむ時のワクワクドキドキとした気持ちや、なにか新しいことを思いついた時の電気ショックが全身をかけめぐる快感が、ない。



もちろん、これはぼく自身が悪いのだ。



いつのまにか、ぼくは世界を歩く時に「誰にでも価値があること」というコンパスだけを基準に進むようになっていたからだ。

実際にこのコンパスの精度は、仕事をすればするほど安定したものになっていって、道に迷いにくくなる。

おまけに周りの人々はおなじコンパスを持ち歩いていることが多いから、ちょっと迷った時でも、近くの人に聞けば、コンパスの方角を共通の基準にしながら、どこをどう行けばいいか、すぐに教えてもらえる。

このコンパスがあれば、世界のどこでも歩いていけるかもしれない。

でも、世界の色んなところに隠されている「面白いこと」に出会えるかどうかは、まったく別の話なのだ。

ぼくにとっての「面白いこと」は、ぼくにしかわからない。

そしてそれを探す時には「誰にでも価値があること」だけを基準にしていても、絶対に見つからない。

なぜなら、そんなものはとっくの昔に他の誰かに掘り起こされているからだ。

おまけに情報はいくらでも入手できるこの時代、「誰にでも価値があること」はこうしている瞬間にも次々に発見され、消費され続けている。

だから、誰にも見つからずに眠っている「面白いこと」を見つけるためには、自分だけの新しいコンパスを手に入れる必要がある。



大丈夫。



ぼくはこれまで無駄に長く生きてきたおかげで、もうその新しいコンパスをとっくに作り上げている。

そして、もう1つ大切だと思うのは、これまでの古いコンパスは捨てずに、ちゃんと使い続けることだ。

「世の中において多くの人が価値だと思っていること」と「いまは自分にしか価値があるとは思えないこと」との両方を基準にしながら世界を歩いていれば、きっと、何かが見つかるだろう。

そして、それはだいたいの場合、はるか遠くの秘境とかじゃなくて、毎日のありふれた光景の中に隠されているような気がする。

他人から見ればありふれた、くだらない日々の中で、自分にしか見つけることのできない新しいことが見つかるんじゃないかと、いつもワクワクドキドキしながら歩いていけるなら、社畜の生活も悪くない。



さて、今日も、冒険に出かけるとするか。