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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

子供に絵本を読んであげるのは、めんどくさい。



すぐに飽きてしまう。



何度も何度も同じ絵本を読んでいるうちに、こっちは内容をすっかり覚えてしまうし、特に幼児向けの絵本は単純な話ばかりである。

ウサギとタヌキがケンカしたけどやっぱり仲直りしたとか、クマの誕生日をお祝いしに動物たちみんなで出かけたとか、そんなのばかりで、しかし実はすべてはサルの陰謀で動物たちがクマの家に集まったところに火を放って一網打尽にしようとするが、実はみんなその計画に気づいていてサルを返り討ちにして、これだからケモノなんて嫌いなんだ、とつぶやいてサルは息を引き取り、その亡骸からやがて芽が生え、花が咲き、実を結び、そこから初めての人類が誕生したのです、みたいな話はまあない。

だから、自分で読み聞かせしつつ「で、これ何が面白いの」と思ってしまう。

こうなってしまうと単純な反復作業となるので、子供にはちゃんと本を読んであげなきゃと思いながら、もう面倒でしかたない。

おまけに子供というのはその時のいろんなコンディションによって反応が全然違う。

こっちがめんどくさい気持ちにムチをうってなんとか懸命に読み聞かせをしていても、あくびをして全然集中していなかったり、急に本をつかんで破ろうとしたりする。

こちらも観客たる子供の反応が悪いと、もうすっかりやる気をなくしてしまう。



そこで。



演者たる僕は台本、つまりその絵本の内容を見直すのである。

まあ実際にどうしようもない「台本」もあるのだけど、だいたいの絵本、特に昔から読み続けられているような絵本には、実は色々としかけがある。

たとえば『おふろでちゃぷちゃぷ』(松谷みよ子作,いわさきちひろ絵,1970,童心社)というもう40年以上読まれ続けている絵本がある。

いわさきちひろさんのかわいい絵が印象的なのだけれど、この本には松谷みよ子さんが選んでいる言葉にしかけがある。

あひるちゃん どこいくの


いいとこ いいとこ


あれ タオルをもった ねえ どこいくの


いいとこ いいとこ



まって まって いま せーたー ぬいだとこ


はやく はやく


まって まって いま ズボン ぬいだとこ


はやくはやく


ここでは、絵本を読む人間の表現力が試されている。

子供は「どこいくの」とアヒルに関心を持つ。

アヒルは「いいとこいいとこ」と言うだけで、うまく子供の気を引く。

それでお風呂に入る気になった子供が「まってまって」とあせって声をかければ、アヒルは「はやくはやく」と急かしてみせる。

この心の駆け引きをうまく再現できるかどうか、僕らは試されているのである。

でも、この絵本はとても親切だ。

「はやくはやく」という文字の級数がちょっとだけ小さくなっていて、読む人にヒントを与えているのである。

「子供とアヒルのセリフを同じ調子で読まないほうがいいですよ」というヒントだ。

ためしにアヒルの言葉だけを級数にしたがって小さく読んでみると、もう先にお風呂に入って楽しんでいる(フリをする)アヒルと、早く入らなきゃとあせっている子供の対比がくっきりと見えてくる。

これがわかってきたら、あとは自分なりに色々と試してみればよくて、子供をその気にさせようと企むアヒルになりきって読むのも楽しいし、あせって今にも走り出しそうなのをこらえて必死に服を脱ぐ子供の気持ちを表現するのも面白い。

不思議なもので、この子供とアヒルの駆け引きをうまく再現できた時は、聞いている子供もよく笑う。

たぶん、僕自身が楽しそうに読んでいるからだろう。



自分が面白くないのに、他人を面白がらせることなんてできない。



それは相手が子供だろうが大人だろうが、同じだ。

さて、僕は最近、ちゃんと色んなことを面白がっているだろうか。

どうも理屈ばかりで物事を考えていて、感情を置き去りにしているように思う。



そろそろ僕自身が子供に戻る時期が、来ているのかもしれない。



おふろでちゃぷちゃぷ (松谷みよ子あかちゃんの本)

おふろでちゃぷちゃぷ (松谷みよ子あかちゃんの本)