隠れる場所は、ありますか。




3つは、必要だ。



生きていると、どうにも自分では処理できないことに出くわす。

仕事で、プライベートで、あるいは人には言えない状況下で、不測の事態に陥った時、まずは一時的に身を隠し、冷静に状況を把握し、対処方法を考え、具体的な行動へと移す、そういう場所が必要だ。

なぜ最低でも3つなのか。

簡単だ。

不測の事態というのは、どういう状況で起こるかわからないから、不測の事態なのだ。

隠れる場所が1つしかなければ、状況次第では、そこに到達できない可能性がある。

公園だと大雨が降ると困るし、ホテルだとお金がないと泊まれないし、バーだとまだ開店してないかもしれない。

2つあればかなり安全だが、もし事態が想像以上に深刻に混乱している場合、また別の、もっと深いところまで潜って徹底的に頭を冷やす必要がある。

だから、最低3つだ。


しかし注意しなければいけない。


どこが隠れるべき場所として適切か、誰も教えてくれない。

当たり前だが、他人に教えてしまえば意味がないからだ。

もちろん僕も教えられない。

しかしせめて、ヒントだけは書き残す。


まず、当たり前だが汎用性は高いほうがよい。

場所を限定してしまうと前述のとおり、状況によってアクセスが困難になる。


それから、うまく隠れられそうな場所がないか、普段から色んなところを注意深く観察し、良さそうな場所があれば平時から使用感を試しておくことだ。

誰もがすぐに思いつきそうな場所には先客がいたりするので、いざという時に役に立たない。

逆に、発想次第では、意外な場所が便利に使えたりもするものだ。

うまく隠れるためには丁寧な取材とアイデアが必要なのだ。


最後に、それは場所ではなく、人の場合もある。

別に的確なアドバイスをくれる人物でなくてよいので、会ったり話をしたりすることで冷静さを取り戻すことができる、そういう人も充分に隠れる場所となりうるだろう。

もちろんそういう得難い人物を確保するには普段からの努力が必要なことは言うまでもない。


さて、そこまでしなくても、普段から非常事態に陥らないように注意しておけばよい、という考え方もあるだろう。

だが、人生、何が起こるかわからない。

いざという時のための準備をするかしないかは自由だが、たまには「隠れる」という行動の意味を少し考え直してみるのはいかがだろうか。



幸運を、祈る。