犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

中年の、ときめき。





かっちょいい中年になりたい。



しかし、どうも何をもってかっちょいいのかというと、なかなか難しくて。

今までは自分の中でまあまあ明確な「かっちょよさ」というものがあったと思う。

服装がおしゃれだとか、顔が端正だとか、めちゃめちゃ仕事ができるとか、思いつくアイデアがすごく画期的だとか、後輩の面倒見がいいとか、気配りが行き届いているとか、なんだとか。

でまあ努力してもどうにもならないことはたくさんあるにしても、自分なりにかっちょいい人間でありたいとは思って暮らしてきたのだけど、中年を迎えるにあたって、これまでの「かっちょよさ」とは違うものを色々と試していきたいなあと思っている。

ものすごくしょうもない話だが、去年から、20年近くコンタクトレンズだったのをやめて、メガネをかけている。

若い頃はメガネをかけてるやつなんてダサいと思っていて、徹夜続きで真っ赤に充血した目に無理やりコンタクトを入れて生活していた。

なのに、年をとって徹夜の仕事もそんなにすることがなくなった今、あえてメガネをかけている自分はどうなんだろうとも思うのだけど、実はメガネって面白いんだな。

色んなデザインがあって、かけるメガネでその人の印象がガラっと変わるし、服装やその日の気分に合わせて違うメガネをかけたりもできる。

実は新しく服を買うよりも、メガネを買い足したほうが、簡単に見た目の雰囲気を変えることができるので、結果的に安上がりなんじゃないだろうかとさえ思うようになってきた。

なんだ、メガネ、楽しいじゃないか。


今日は別にメガネの話をしたかったわけじゃないのだけれど。


かっちょいい中年とは何か、ということを考えるにあたり、「若い頃に思っていたかっちょよさ」というものを一度忘れてみるのも面白いなあと思っている。

仕事がめちゃめちゃできるやつはかっちょいい、ということだってそうである。

もちろんそれは素晴らしいことなんだけど、もう僕ぐらいの年齢になると「仕事はめちゃめちゃできて当たり前」だと周囲の、特に若い人たちから思われているのをひしひしと感じる。

こういうことをかっちょいい、かっちょわるい、という話でくくってしまうのは乱暴なことは承知しているけど、しかし単に「仕事ができる」というだけでは別にかっちょよくもなんともない年齢に僕はさしかかっている。

となると、どんな仕事のやり方がこれからはかっちょいいのか、ということを考えると、これはなかなか楽しい作業である。

たとえば、若い人たちがもっと「あれ、オレって実は仕事ができるやつじゃないか」と夢中になって取り組めるものを作り出すような仕事とかすごくかっちょいいと思うし、あるいはこれまで自分がバカにしたり無視を決め込んできた領域についてあらためて詳しくなるのも、それはそれで面白い。


ここまで書いていて、気づいた。


結局、僕にとっての「かっちょいい中年」というのは、過去の自分の栄光にとらわれず、新しいかっちょよさというものを追求し続けていく中年なのかなあと思う。

若い頃は、他者の評判が気になって気になって仕方がなかった。

それは、単純に多感な年齢だからということもあるだろうけど、結局、周囲からの評価が自分のポジションを作ったり、自分よりもエライ人間が今よりも「良い」場所へと引き上げてくれることを期待していたからのようにも思う。

しかしそれでは、誰かの作ったゲームをプレイするという、半分だけの楽しみしか知らないままだ。


一人の人間の人生は、短い。


中年にさしかかって、僕はそれを強く感じている。

とてもありがたいことだ。

このことに気づかなければ、いつまでも過去のかっちょよさにとらわれて、新しいことを試す機会を逃したままだったかもしれない。

僕はとても欲張りなので、自分の人生をたっぷりと味わい尽くしたい。

だから、新たな旅に出るのである。


まだ見知らぬ豊かな「かっちょよさ」を隠したまま横たわっている、中年の大陸を目指して。