犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

アイデアは、恥ずかしい。





なんだか、つまんねえな。



最近、自分がそういう心の動きになっていることが多かったので、一体それはなぜなのだろうと思い、ちょっと整理をしてみた。


1枚の紙をばっと広げて、自分がつまらないなと感じることを、どんどん挙げて書きこんでいく。

書くには、2Bの鉛筆なりシャープペンシルがちょうどいい。

文字が濃くてくっきりと残るから読みやすいし、簡単な絵を書くのにも向いているし、何よりも書き心地がやわらかくて、紙に向かって言葉をぐりぐりと練りこんでいく感覚が、頭の中をやさしくマッサージしてくれるみたいで、すごく気持ちいい。


そうやって機嫌よく、自分が不機嫌な事象について書きこんでいくと、もうすでに不機嫌を直すための対策だったり、次のアクションだったりを頭のどこかで考え始めてたりするのだけど、そこはグッと我慢する。

我慢して、できるだけ多くの「自分がつまらないと感じているできごと」を機械的にピックアップしていって、1枚の紙を文字やら絵やらでいっぱいに埋め尽くす。

完成したら、コーヒーを淹れる。

で、それを紙の上にこぼさないように注意深くゆっくりと飲みながら(僕はとにかくコーヒーをよくこぼす)、じっくりと自分にとってのつまらない事柄たちを鑑賞するのである。

そうすると、まあ本当にがっかりする。

いわゆる「世の中で一般的につまらないとされていそうなこと」の多いこと、多いこと。

いかに自分は高尚な悩みを抱えていて、それは誰にも理解できないものだとか思っていても、まあ言葉にしてしまえばとにかく陳腐で、ありきたりなことなのだ。

このプロセスはとても重要だ。

僕はとても自分のことが大好きな人間なので、ほおっておくと、すぐに自分が置かれている状況を自分で脚色しはじめる。

まあそれはそれで人生を面白おかしく生きるための知恵なんだけど、時々裸にして恥ずかしがらせてやらないと、現状を見つめているレンズがどんどん曇ってくる。

それで、いつもより苦いコーヒーをすすりながら、ああ、自分は実にしょうもないことに対して悩んだり、モヤモヤしているなあ、ちっぽけな人間だなあと、とにかく残念に思う時間を過ごす。


さて、ここからが本番だ。


このちっぽけでくだらない事象に対してつまらない、つまらないと思っている矮小な自分をそのまま受け入れてやる。

で、そんな情けない彼のために、いくつかの解決方法を呈示してやるのである。

するとアラ不思議。

ずいぶん具体的な提案がどんどん出てくるのだ。

なんとなく身体がだるいのは、みんなのために身を投げ打って頑張っている過労によるものではなく、加齢と運動不足によるものだから、今からすぐに簡単な筋トレをすればいいだけじゃないか。

あの仕事についてぐちゃぐちゃと悩んでいるのは、自分が描いている壮大なフレームのレベルが高すぎて凡人の理解を得られないからではなく、一人のメンバーとプライベートでケンカしたことがしこりになっているだけなので、今晩にでも飲みに誘えばいいだけじゃないか。

家族の将来について不安なのは、産業構造の変化による先行きの見えない世の中が問題なのではなく、最近妻に行ってきますのチューをしていないからじゃないか。

これ以上書くと、もう恥ずかしすぎて二度とブログを書きたくなくなるのでこのへんでやめておくけど、まあそんな感じで、非常に具体的で、冷静で、単純明快なアイデアが、出てくる。

それらをもう一枚の紙に一つずつ書いていく。

あとは行動に移すだけだ。



イデアは、恥とともにある。

自分はすばらしい、賢い、万能だ、という状態にあると、既に自分のものとしている能力は発揮はできるかもしれないが、未知の領域についての関心が薄れてしまうように思う。

そして、見知らぬ世界というのは、他人にとってはどうでもよかったり、気持ち悪かったり、自分にとっても今は関心がなかったり、当然のことだと無視していることの先にあるのだ。

それは平凡で退屈な日常風景の中に巧妙に隠されている。

その正体を見破るためには、僕は重装備を脱ぎ捨てて、この世で最も恥ずかしい存在になり、すっぽりと入り込めそうな小さな入り口や、そのヒントを探す必要がある。

そう、思う。


まあよく考えてみれば、人間なんて、裸になればとても弱くてかっこ悪い生き物である。


だからこそ、アイデアを手に入れることができたのだ。