昔の話で恐縮ですけど、アルバイト先の事務員しているお姉さんが、それはそれはとてもかわいらしいお姉さんだったのですけど、とにかく一緒に働いている先輩事務員さんの悪口をめちゃめちゃ言うわけですよね。
でまあ僕はお姉さんに気に入られたいばかりに、へえそうなんですか大変ですねと、いつも適当なあいづちを打って暮らしていたのですけど、それにしてもお姉さんはあの人がむかつくむかつく殺してしまいたいとあまりにも言うので、僕は彼女のことをさぞ心配しているような表情を浮かべつつ、それにしても本当にいつも怒ってらっしゃいますけど、そんなにイヤなもんなんですかね、いやもちろんわかります、わかりますけど、ふとそう思いまして。
そしたらお姉さんは、僕を見て、ズボンをはき忘れてきた人を見るみたいな顔をして言ったもんです。
そらそうやろ、ずっと一緒にいたら嫌いになるに決まってるやん。
これ、まったく意味わからなかった、もうわからなさすぎて、こっちもスカートはき忘れてきた人見るみたいな目になってたと思いますけど、向こうの言い方がものすごい確信というかそんなもん常識やろ感に満ちていたので、ひょっとしたらお姉さんがスカートをはいてなかったとしても、むしろスカートはいてる女の人がいるほうが異常ぐらいに思わなければいけない感があって。
それで今でも僕は、その言葉を時折思い出すことがあるのですけど、まあたしかにちゃんと働くようになって、師匠の下についたり、後輩を教えなきゃいけなかったりと、その人と一緒にいることのほうが家族より長い、みたいな経験を何度かしまして。
まあそうすると、必ずしも毎回嫌いというところまでいくわけじゃないんですけど、その人の「いいな」って思ってた部分が逆にむかつく原因になってくるんですよね。
この人は明るくて楽しい人だなっていうのが、見栄っ張りで短絡的な野郎だなとか、細かいところまで気を配ってくれて優しい人だなっていうのも、てめえ毎回毎回粘着質でキモいんだよ、ってなる。
なるのはなるんですけど、しばらく諸事情で離れているとそういうの忘れちゃってて、久しぶりに会って話すと、ああやっぱこの人好きだなとか思っちゃうわけで。
ここから信じられないくらいのタイミングで命がけの飛躍しますけど。
せま~い範囲で申し訳ないけど、結局、自分の知っている人間の中で「いや、この人はどれだけ一緒にいても嫌いな部分は見つからないだろうな」みたいな人っていないんですよね。
だから、どれだけ「その場でのコミュニケーションが上手」な人がいたとしてもですね、その人とず~っと一緒にいたらきっとキツイ、それは本当にキツイ、バイト先のお姉さんの言ってたとおり。
で、結局コミュニケーションなんてものが「ある」と思うのは、それは一時的な現象をそう呼んでいるだけの、フィクションであって。
コミュニケーションが得意とか不得意とかそういうことを考えるのは何の意味もない。
それは別にね、悲しいことじゃないし、僕はほんとにね、なんか世の中をはかなんでいるわけでもなんでもない、むしろざっくり言うと人は好き、たぶんだいぶ好きな部類に入ると思ってる。
しかし、人のことをなるべく長く好きでいられるようにするにはたぶん工夫とかが必要で、それは僕はやっぱり必要だと思うわけで。
だから誰かと出会うたびに、僕は気持ち悪いくらい心の中で「あなたのことをずっと好きでいたい、ずっと好きでいたい」と念じているわけで、こんな気持ち悪いことはこれ以上ないかもしれないけど、とにかくそう念じている。
それは本当に気持ち悪いんですけど。
それでもとにかくこの人のことを好きでいたいと念じながら、しかしそれをこじらせてケンカしたり、疎遠になったり、また再会したり、そうやってどんどんぐちゃぐちゃになっていくわけですが。
それでも、ただ、バカみたいにそう念じながら、僕は今日もなんとか暮らしているわけです。