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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

Facebookでケンカ、できますか。



ちゃんとケンカをしたいなあ、と最近は思う。


もちろん腹が立つことは、たくさんある。

でもそれは単なる衝動的な怒りであって、おまけに、だいたいその原因は自分自身に余裕がないからだったりすることが多い。

だから、もしそれを我慢せずに相手にぶつけたとしても、向こうもびっくりするだろうし、あるいは向こうがこちらを試している場合もあって、そういう時は、ああこの人はこうするとこういう反応をするんだな、と冷静に分析されるだけである。

そんなわけで、いちいち腹を立てていても何も良いことはないと、僕らは自分の怒りをグッとおさえて暮らしている。


そんな日常に疲れ果てた帰り道、ぶらぶらとインターネットを歩いていて、たまたまむかつくヤツとすれちがうと、そのイラッとした気持ちを解放したくなる。

どうせこっちは捨てアカウントだ、よし、やっちまえ、となる。

しかしもちろん、こういうのは「ケンカ」ではなくて、ただの暴行である。


そうではなく。


相手も自分も傷つく可能性を内包した上で、、ちゃんと言いたいことをぶつけあって、それをお互いに完全にノーガード状態でもろに受け止めて、想像もしていなかったような手痛いダメージを受けて、ついにはどちらも立っていられなくなって、その場に倒れ込み、おめえやるじゃねえかよ、いやそっちこそいいパンチだったぜ、へへへ・・・というのがやりたいのである。

だけど、Facebookのような実名で色んな人がつながっている世界では、なかなか難しい。

このケンカが、当人同士だけのことなら、後で顔じゅうケガだらけになっていることについてとやかく聞かれる程度で話はすむかもしれない。

しかしFacebookではそのケンカの始終を周りの友人がじっと見ているわけであり、そして当人たちと距離のある人たちは「なんだなんだ、ケンカかケンカか」と好奇の目で見たり、あるいはそれを他の知人に「おい、面白いのやってるぞ」と知らせたりするかもしれない。

ただの私的なケンカではなくなってしまう。

そんなわけで今までも、そしてこれからも、Facebookでケンカをしようとする人はあまり現れないままだろうし、それは僕だってそうである。

Facebookでやりあうくらいなら、本当の意味で相手を河原に呼びだして殴り合ったほうが、マシかもしれない。


もちろん。


それは他のSNSでもなんでも同じなのだろうし、オンラインの世界はオフラインの世界を単純に拡張しているだけなのだとしたら、それらをひっくるめたこの国自体における状況がそういうことだという、ただそれだけのことかもしれない。

あるいは、それがどれだけ個人的なケンカだったとしても、あいつはすぐにキレる自制心のないやつだとレッテルを一度貼られると、それをずっと引きずって暮らさないといけないということを気にするあまり、難しそうな顔をしてグッと黙りこむのが得策だと判断してそうふるまう、僕自身の問題なのかもしれない。


そうだとしても。


やっぱり、ちゃんとケンカをしたいなあと思う。

僕にいま足りないのは、耳障りのいい褒め言葉や、それっぽいねぎらいのセリフではなく、君は間違っている、とか、お前は全然わかってない、とかそういうストレートパンチだ。

ビリビリと心にこたえる、重い一撃だ。

つい調子に乗っている自分に気づかされる、痛い一撃だ。


ただまあ、そういうのは、諸事情を差っ引いたとしても、なかなか難しいだろうな、とは思う。



なぜならそういう、相手に本気で届けようとするパンチを放てば、例外なく、殴っているほうも非常に痛いからである。