ラストトムライに、なりたい。







id:shiraber氏からインプットされたことだけど、公文俊平氏は現代を評して、今はまだポストモダンではなくラストモダン、とおっしゃっているそうだ。


本当の情報化社会がやってくるにはまだ少し時間がかかり、今は近代化による産業や経済の発達による「富のゲーム」の拡大が最高潮に達している時代、すなわちラストモダンなのだそうだ。

もちろん最高潮に達しているということはすでに衰退が始まっていることを意味するのだけど、だからといってそれが急速に崩壊していくとは限らない。

「富のゲーム」へと賭け金を払って参加しているのは他でもない人間たちなので、その考えとか態度が変化しない限りは状況はなかなか変わらないし、変化があったとしても非常にゆるやかに起こっていくのだろうとも思う。

僕だって今の生活の基盤をそういったゲームの上に置いているわけで、ラストモダンによる恩恵を受けているのは間違いない。

今すぐ全てのゲームから降りて別の新しい合意に参加したまえと言われても間違いなく躊躇する。

躊躇するだろうけど、すごく魅力を感じるだろうことも否定できない。


面白そうだからだ。


僕はラストモダンとポストモダンのはざまで青春時代を送ってきたので、「富のゲーム」を横目で見つつ、限られた資源の中で自分を満足させる術についても考える機会を持ってきた。

非常に平たく言えば、ブランドもののファッションを身につけて高級車を乗り回すことの魅力もわかるけど、部屋にこもって東京魔人学園の各キャラのイベント全部制覇してもひたすらプレイし続けるの楽しいよね、という感覚をずっと持っている。

それは、色んな楽しみ方を知っているとも言えるけど、ラストモダン的な呪縛から逃れ切れていないとも言える。

だから僕はいつも色んな価値観について共感する一方で、何か1つの価値観にどっぷりと漬かってしまいたい、という願望を持っているような気がする。

そっちのほうが楽だからである。

しかし、それはたぶん無理な話で、経済発展を前提とした時代とその次にやってくる時代の狭間で育ってしまった以上、運命なのだと思う。

自分としてできるのは、できるだけスムーズに、できるだけなめらかに、できるだけダメージを最小限にして、このラストモダンを終焉させること。

それに少しでも寄与することなのかなあと思う。

そのためには、偉大な先輩方が築き上げてきたさまざまな成果に敬意を払ったり、彼らの知恵や経験から学んだりする姿勢は必要だと思うし、むしろ彼らも若者たちと力を合わせて新たな未来作りに参加したくなるような、ワクワクできる機会を作っていくことが大切だと思う。

重要なのは、ぶっ壊すことでも、抵抗することでもない。

ともに新しい世界や、新しい価値観や、新しい喜びを生み出していくことなのだ。

それが「僕らの現実に対してやさしい反撃を食らわせる」ことの意味であり、これをもって、僕はラストモダンにそっと引導を渡し、古い世界とともに静かに退場していきたいと願っている。