犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

なんだかんだ言っても犬は、人が好き。









僕はそれなりに内向的な人間で、人と関わるのが面倒だなって思うことがまあまあある。

ただ、僕が知っている中で最も外向的な人物でも、誰かと会う予定があるたびにその直前で突然無性にイヤだと思うことがあるそうだ。
もちろん、それを過ぎればまたテンションが上がってくるらしいのだが、要は誰でもそういう部分は持っているんだろうなと思うとやや安心する。

ただ、冷静に考えると、それは当たり前の話で、どれだけ社交的な人物であっても、他人と接触する際にはその人に自分自身が受け入れられない可能性があるわけで、むしろ外向的な人物ほど、その可能性をいったん受け入れて心の準備をすることを意識的に習慣化しているのだと思う。

だから僕なんかは、誰かと初めて会う時は毎回気持ち悪いほど準備をすることにしていて、その作業は大抵の場合無駄になるんだけど、僕はこの人に受け入れてもらえるようにこれだけ準備してきたんだぞ、っていうのは精神安定剤的な作用はあると思う。

まあ残念ながらそれを繰り返しているとだんだん老獪になってきちゃって、別に卑屈とかそういうのじゃなくても、結局は相手が話してくれることとか、こちらに提供してくれることに対してどんどん貪欲になっちゃうので、自分自身の爽やかさは失われます、ハイ。

だけど最低限、僕の中で大事にしたいのは、非常に明確に、僕はあなたに依存していますよっていう態度を示すことで、もちろんこの出会いを楽しいものにできるように力の限り努力するけど、それはあなたという存在が中心にあるのが大前提で、それがメインディッシュなんです、キーファクターなんです、必要不可欠なんです、っていうこと。

たぶん僕自身は自分探しからいわゆる自分なくしの段階に移っちゃってて、リアルの僕なりいぬじんという架空の存在はそりゃもう誰かがどう言おうと自分にとっては確実に存在しているわけで、そこに他者の承認はほんのちょっぴりあればもう十分なのね、例えばこのブログに言及してくれる方が存在する時点でもう大満足というか。
だからこそ、僕の欲求というのは僕ではない誰かへと向かい、あるいはその誰かが主役を張って活躍できるための演出家としての仕事(広義での)を求めてる感はあるし、実際にそうあろうと努めている。

そう言うとウソつけこの野郎、てめえのリアルな欲望を見せやがれこの犬コロがとおっしゃる方もいらっしゃると思うけど、僕のドロドロとした欲求の向かう先は他者であり、他者と自分とが物語によってつながる接点にあるので、これは立派な業であり、社会的な性的欲求と言っても間違いじゃないと思う。

そういう正直レベル(って最近口癖みたいに言う人がいたので使ってみる)での欲望を提示した上で、やっぱり僕は人間に興味があって、依存したいとも望んでいて、もちろんそのための努力は惜しまないつもりで、長いようでひょっとすると短い人生なんで、それをあまりにもシンプルに申し上げるなら。


やっぱり、人が好き。