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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

ウェブ進化論は、ここからが本番なんだろな。






僕は偏執的なほどに、人類の未来に期待をしている。

世の中というものは今よりもきっと未来のほうが素敵なものになると、盲目的に信じている。

しかしまあ社会に出てみれば世の中というのはそんな甘いもんじゃなくて、おまけに、オレの欲求さえ満たすことができればこの世の中などどうなってもええんじゃ的なわかりやすい態度で生きている人ばかりならまだあきらめがつくところだが、実際はそれぞれの事情や感情やそれらがぐちゃぐちゃに絡み合ったものの集合体の一部として自分が存在しているんだなあと気づかされる。

おまけにここのところは震災のせいで発生したやりどころのない怒りとか悲しみとか不安とかがまだまだ続いていて(ここは明言させていただく)、何が未来だ、くそくらえだ、という気持ちに傾きそうになるのも事実だ。

それでも、僕はちょっとでも未来に関して面白そうな話を聞くと、つい期待をふくらませてしまう。

やはり人間は過去の失敗をちゃんと学習して、より明るい未来に進んでいる最中に違いないと、ついついワクワクしてしまう。



池田仮名さんのいまさらだけど梅田望夫の『ウェブ進化論』って正しかったよね - 情報学の情緒的な私試論βを読んだ。

氏は最近はてなブログの機能を拡張するプログラミングをいくつも試されていて、はてなブログでもトラックバックが表示できるウィジェットも作られた。

はてなブログにトラックバック機能を拡張するウィジット(スマホ対応) - 情報学の情緒的な私試論β

これが広まれば、はてなダイアリーはてなブログの交流もさらに進むんじゃないかなと思う。

そんな仮名さんは、ふと思ったそうだ。

 そんな活動をしていると梅田望夫さんの『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』での記述が想起されてきました。

(中略)

 著者は「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」がある閾値を超えた時に以下のような法則が成立すると説いています。

神の視点からの世界理解
ネット上に作った人間の分身が金を稼いでくれる新しい経済圏
(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積

いまさらだけど梅田望夫の『ウェブ進化論』って正しかったよね - 情報学の情緒的な私試論β

「知の高速道路」の先の渋滞を抜ける事こそが大変ってのはあるのですが、大抵のやりたい事や、ちょっとした利得に関しては渋滞してる範囲まででも十分に見込みがあるような気がしています。

 そんなわけで、『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』が出た時点ではちょっとバカにされていた部分もあったとは思うのですが、結構的を得た未来予測だったんじゃないのかなーって思いました。

いまさらだけど梅田望夫の『ウェブ進化論』って正しかったよね - 情報学の情緒的な私試論β

この本を読んだ多くの人がそうだったように、僕も当時は世界が大きく変わろうとしている予感にワクワクした。

その一方で、大きな抵抗を感じていたのも事実だ。

技術革新によって、これまでの仕事の中で行ってきた自分の努力が全て無駄になるんじゃないかと恐れた。

この予言は的中して、僕らの仕事は、ほんの一握りの人間たちだけが箱舟に乗ったあとは、一瞬にしてコモディティ化した。

おかげで僕は安物の量産型ロボットとしての生活を送らざるを得なくなった。

それでも、やっぱり情報革命による世の中の変化というものは面白いし、これからが本番だと思う。

この大変化のまあまあ初めのほうで引導を渡されたのは、実はラッキーだったとも思う。



ところで、仮名さんの上記のエントリに対して、「当時のウェブ進化論は、性善説なり楽観主義をベースにしたからアカンかった」的なコメントをいくつか見かけた。

なるほど、そうなんだろう。

フリーですよとかオープンですよとかどんどんシェアしていきましょうとか言っても、僕らは、おおそうなんですね、ではこちらも持っているものをどしどし提供していきますね、お互いに高め合っていいものを生み出していきましょうよ、なんてことにはなりにくい(エンジニアは別かもしれないけど)。

「ほほう、兄ちゃん、タダってゆうたな、ほな全部タダでもらおうやないかい!ああん?なんでこっちもなんか出さなあかんねん、そっちがくれるゆうたからもらっただけや、ワシは一言もくれなんかゆうとらんぞ!」的な態度に出るのが普通である。


これはコミュニケーションについても同じことが言える。

立場が上の者や影響力が大きい人間の話はすんなり聞き入れられるのに、そうではない誰かが面白いアイデアを言っても、お、それ面白いね、じゃあこうしてみたらもっと面白くない?となる場合は非常に限られている。

「的を射ていない」「知識が足りなすぎる」「飛びすぎている」的にバッサリいかれてしまう。

なんとなく、「話を転がす」ことが好きではない人が、まだまだ多いと思う。

自分が考えていること以上の厄介事を頭の中に持ち込むのは面倒だし、そのたびに思考を解体していたらキリがない。

僕だって自分の時間は有効に使いたいので、見知らぬ人の、面白いかどうかもわからない話を聞くには非常に勇気がいる。



たぶん、このテーマを本来的に解決するのは「社会なり一人一人の人間の成熟」なのだろうけど、それにはかなり時間がかかるだろう(といってもこれまでよりは格段に速く進むと思うが)。

その前にできることはなんだろうな、と思っている。

1つには「話を転がす」ゲームやごっこ遊びを色々と試してみることかもしれないし、はてなの世界のようにユーザー同士がブログやブコメで言及しあうようなスタイルを、もっと浸透させていくことも答えになるかもしれない。

また、そもそもそうやって「転がす」先に何があるのかがなければモチベーションも続かないだろうし、コミュニケーションというのをあくまで手段だと考える人なら、その目的がなければモヤモヤするだろうから、先にゴールを設定したほうがいい場合もあるだろう。

人と人が共感することで何かを前に動かすような、ソーシャルグッドやクラウドファンディングみたいなものは、これからもっとカタチを変えて、より身近なものになっていくだろう。


たぶんこのあたりはもう誰かが取り組んでいるだろうし、考えたことがある人はその何百、何千倍といると思う。

もし何かご存じの方がいらっしゃたら、ぜひ感想をいただきたい。

この先は、分科会。

それぞれが、それぞれの得意な分野について掘っていく期間がまだしばらく続くんだろう。


そして一番大切なことは、人の心を見つめることだと思う。

これは何もキレイごとではなく、ドロドロギトギトとした欲望も含めて目をそらさないということだ。

人間の心の中には、楽観的な自分と悲観的な自分の両方が住んでいるし、色んなことを受け入れようとする寛容な態度となんでもかんでも否定してしまう態度の両方が備わっている。

自分だけが幸せになれたら世界が破滅しようが知ったことないとも思っているし、同時に、自分以外の人々が全員幸せになってほしいとも願っている。

それをまるごと抱きしめて未来へと進んでいきたいと、少なくとも僕は思う。


ちなみに、梅田氏のはてなダイアリーに、こんなエントリがあった。

オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。

悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan

結局は、未来への意志を持っている人同士でなければ、面白い化学反応は生まれないのだろう。


だけど、その何かが生まれそうな気配は、あの頃よりも濃くなってきていると感じるのは僕だけだろうか。