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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

ウルトラマンと、女神さま



僕の息子は、寝る時におもちゃやぬいぐるみを持って寝たがる。

もちろん本格的に眠ってしまえばどこかに蹴っ飛ばしてしまっているし、最近は布団にもぐりこむ前に少し離れた場所に置いたままにしたりもするので、そこまで固執しているわけでもなさそうだ。

それに何を隠そう僕自身、けっこう大きくなるまでおもちゃを抱いたまま寝ていたので、特に違和感はない。

眠る前の儀式みたいなもので、深い意味はないと思っていた。


しかし、最近は、これは「儀式みたいなもの」ではなくて、正式な儀式そのものなのかもしれないと思う。



昨夜、ジャーナリスト佐々木俊尚さんがTwitterで宗教と信仰についてのやりとりをされていた。

佐々木俊尚氏の宗教観 - Togetter

氏は近々ある宗教法人の方との対談イベントを開かれるらしく、その是非や宗教への拒絶反応についての議論をされていて、興味深く見守っていた。

佐々木さんは、今後この国は格差が拡大していくのではないか、そしてその時に何を心の拠り所にすればいいのかが人々にとって大きな課題になり、宗教にはそのヒントがあるのではないかと興味を持たれているみたいだ。

宗教はイスラム教のように社会システムそのものを担っていたりもするので、今後の世の中を考えるにあたって、そういう関心が芽生えるのは当然だ。

ただ、僕は人々が頼るべき答えが宗教にあるとは思わない。



僕はいわゆる宗教団体に加入する気は一切ないが、以前も書いたけど、神社参りという儀式を便宜的に利用したりする。

つまりは、自分の心の中にある拠り所みたいなものを確認する作業は行っている。

実はこの作業、かつてこの国に住んでいた人々もしていたらしく、一万二千年ほど前のものとされる上黒岩岩陰遺跡では5センチ程度の小さな石に女体のような何かが刻まれてるものがいくつか発見されている。

この用途については諸説あるみたいだが、原始信仰の対象だったのでは、という見方が多く、女神石とも呼ばれている。

しかし、よく考えてほしい。

たった5センチの石ころに、どれほどの力があるというのか。

とても、みんなでうやうやしく奉ってその前にひれ伏したりしていたとは思えない。

僕は古代の人々はこの石を「持って寝てた」のじゃないかなと思う。

恐ろしい野獣や病気や大自然の脅威にさらされ、いつ死ぬかもしれない厳しい環境に身を置きながら、明日もなんとか我が身がありますようにと、この石を握りしめながら浅い眠りについたんじゃないかなと思ってる。

別に石じゃなくてもよかった。

何か、自分以外の何かの存在をこの手で感じることができればよかったのだ。



宗教と信仰は違う。

おそらく宗教は、もっと後になって、集団行動が重要性を増した時に、便利な社会システムとして発生したのだろう。

それまでは、それぞれが思い思いの方法で自分の心の拠り所を確認していたんじゃないだろうか。

孤独で心が折れそうになった時や、不安で押しつぶされそうになった時でも、自分という存在を無条件に肯定できる何か大事なものを持っていたんじゃないだろうか。

ウルトラマンの人形を握りしめたまま眠っている息子を見ていると、僕らはその頃から何も変わっていないような気がしてくる。

今の人間にとっての女神石とは、何なのだろうか。