犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

書き手と読み手の境界は、すでに破られた。






僕にとってブログは、現実の色んなモヤモヤしたことを整理する場所でもあるので、できるだけブログそのものについての悩みは作りたくない。

しかし残念ながらインターネットもブログも現実の一部であるので、普段と同じような面倒事が発生するみたいだ。

今日はせっかく新しいエントリを書く時間が確保できたのに非常に不本意なのだが、目にしてしまった以上、この件については書いておこうと思う。


わずかな社会性は、保っておきたい


以下の2つのエントリで、高い頻度でブログ同士で相互ブックマークしているユーザーがいるという話を読んだ。

身内ブックマーク問題 - Life like a clown

はてなブログの中の「うちらの世界」 - はてブのまとめ

全てはてなブログの中、または自分に関係してる記事のみのブクマです。
これほんの一例です。まだまだ沢山いるはずです。

はてなブログの中の「うちらの世界」 - はてブのまとめ

これであれば僕もあてはまるし、最近はスマホからしかみんなのエントリを読む時間がないので、興味を持ったエントリには「カジュアルに」ブックマークしている。

トマトの記事もお祭り気分で書いた。

トマトブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

僕はそれらの行為がどういう意味なのかを理解しているし、もし非難されるのであれば話を聞くつもりでいる。

できることなら、ブログ同士で意見を交換しあいたい。

当たり前の話で恐縮だが、それぞれの世界において「このままがいい人」と「このままじゃなくてもいい人」がいる。

新しいタイプのブロガーになってみませんかという話を書いた時も、自分で勝手にやっている分にはどうでもいいが一緒にすんなよ、こっちにまで迷惑かけんなよ、と気を悪くされた方がいらっしゃった。

あるいは、第三勢力とか、ヤンキーの勢力争い的な匂いを感じて不快な気分になられた方もいらっしゃるようだ。

サードブロガーに、なりませんか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

しかしブログやブックマークというものは、そんなにシビアな社会性や公共性や自律性を必要とするものなのだろうか。

そうだとしたら、こいつは現実社会以上に窮屈な世界だな、と思う。

できればそんなことを気にせずに、自由にエントリを書き、「カジュアルに」ブックマークをして暮らしたい。

だけど、その結果として多くの人の迷惑になることを望んでいるわけではない。

だから最低限の社会性だけは保持しておこうとは思っている。

嫌われるのは慣れているが、決して気分のいいものではないし、おまけに僕のせいで他の人まで嫌われてしまうなら、それは辛い。

僕がブックマークしたせいで迷惑になっている方がいらっしゃれば、謝るつもりでいる。

お手数だが、ご一報いただきたい。

そうでなければ、これまでと同じように行動し続ける。


それでもブログの交流は、面白い


世捨て人のようなことを言ったけど、僕はブログに大いに期待している。

特にはてなブログにはお互いをコールしあったり、エントリに言及しあえるという機能が充実していて、これは本当に楽しい。

この機能をうまく使って、ゆるいやりとりを楽しみたいな、と思って試しているのが感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループだ。

わかりやすいので「グループ」と表記しているけど、これは「自分が書いたエントリについては、あなたのブログで言及してもらっていいですよ」というサインないしただのタグでしかない。

そういうサインがブログにデフォルトで実装されたら、このグループは自動的に消滅するだろう。

自分のブログについて、感想を書いてもらえると、無条件にうれしい。

ああ、自分の書いたことが、ちゃんと誰かに届いたんだな、おまけに何かを感じとってもらえたんだな、と喜んでいる。

だって、まったくの赤の他人が、わざわざ時間をかけて、自分のエントリについての感想を書いてくれてるんだもん。

うれしいに決まっている。

ブログ同士の言及の面白さについては、こちらの執事さんの素敵なエントリのほうが詳しいのでどうぞ。

ブロガーは、もっと他のブログに言及して、料理して、評価すればいいのに - あざなえるなわのごとし


書き手と読み手の境界は、ゆるやかに崩壊している


ところで、ブックマークの件についても、ブログ同士の言及についても言えることは、「一方的に何か面白いことを伝える人がいて、その人の存在こそ重要」という構造が全てではないことだ。

マレーグマさんのこのエントリにもあるように、表現したい人は飽和してきている気がする。

ペロン記念日 - おれ文庫

「表現したい人がたくさんいるのにもかかわらず、その表現を見てくれる人がものすごく少ない」Tumblrで見た一言だが、確かにそうかもしれない。インターネットでそこら中に、ほら、この文章だってそうだけれど、表現者モドキが増え、誰かの表現を見る人たちが相対的に減ったのではないか。表現は消費するものではなく、生き続けるはずなのに、誰にも見られることのない表現がたくさんある。表現することがいいんだよ!という言葉だけがひとり歩きして、表現は互いに享受すべきなんだということを忘れてしまえば、表現の意味も、半分はなくなってしまうのだ。

みんなが言いたいことを言いたい、伝えたい話を伝えたい、見せたいものを見せたい。

そうなってくると重要なのは、表現者ではなく、それを受け止める人間の存在だ。

おまけに、はてなユーザーになると書き手としてだけではなく、ブックマークを使うことで、読み手としての影響力も持つことができる。

いずれ、アクセス数とかブクマ数とか、そういったものの重要性は低くなっていくだろう。

自分の書いたことがどれぐらいたくさんの人に読まれたか、よりも、それが読み手にとっての新しい発見へとつながったか、ということのほうに関心が寄せられるだろう。

そして書き手と読み手は渾然一体となり、これまでとは違った表現の形が生まれていく。

たぶん、およそこれまでは「表現」とは認められなかったようなアウトプットになるだろう。

勢いにまかせて言うならば、それは表現とか作品とかじゃなく、社会におけるなんらかの変化を指すようになるかもしれない。

ソーシャルグッドでもベッドでもなんでもいいけど、ブログやインターネットの世界を「なめらかに」乗り越えて、このクソつまらない現実に対して、ちょっとチャーミングで、ちょっと楽しい影響を及ぼす。

そういう変化につながるような気配を感じるからこそ、僕はブログに期待している。


もうちょい、気楽にいこうぜ


僕は色んな人から、何度も同じ戒めの言葉を聞かされてきた。

「自分の表現を、作品だと思うな。」

そう言われるたびに、何言ってんだてめえ、じゃあ何だってんだよ、オレの作品に決まってんだろがと、いつも思っていた。

しかし、やはり、そうなんだろうなと思う。

自分の表現は、作品ではない。

それは誰かに何かを託す行為でしかない気がする。

自分だけの力ではこのあたりまでが限界っぽいから、いったんバトンを渡すよ、といった感じ。

そして、もし運よく誰かがそれを受け取ってくれて、ちょっと良い感じに進めてくれて、また誰かにそれがつながれば、その先に何かが起こるような予感がする。

つながらなければ、それまでだ。

だから、僕はブログはこうあるべきだとか、ブックマークとはこうあるべきだとか、それはそれで置いておいて、もっと面白そうな未来のほうを選びたい。

他の人に強要するつもりなんか一切ないけど、僕はそういうドロドロした欲望を抱いているということを明言しておく。

だからもう一度しつこく言う。

僕はブログに、期待している。