感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループは、自分の書いたエントリの中で気になるものがあれば、あなたのブログで感想を書いてくれてもいいよ、という奇特な人々が使うタグである。
それを奇特な方々がそれぞれのブログで告知してくれたおかげで、ちょっとずつ参加ブログが増えてきた。
そして、面白いやりとりがいくつか起こっている。
★「いい人」をめぐる熱い議論は、面白い広がりがあって、今でもゆるやかに続いている。
(途中経過のまとめ)色んな、「いいひと」たち。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
いいひとだとトクをする?ー評価社会考によせて - 大人の学びをファシリする Carpe diem / Memento mori
★「ブログの書き方」いうテーマでは、ブロガー同士でお互いの方法を公開し合ってて、それだけでそのうち本が一冊できそうな勢いがある。
私の頭を通り抜ける宇宙線をウィルソンの霧箱で捉えて霧笛を吹く〜大橋悦夫『「手帳ブログ」のススメ』 - 情報学の情緒的な私試論β
★「お笑い」についての議論では、僕もつい調子に乗り、エントリでご指摘を受け、仕事中に苦笑してしまった。
(途中経過のまとめ)お笑いが、苦手です。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
(こんなタイトルだけのエントリも)ダウンタウンの笑いの取りかたは、下劣だ。 以上 - 運動する。書く。呼吸する。
他にも僕が観測できていないやりとりもあるので、これらは一部のできごと。
そんなわけで、ちょっとずつ動きが出てきたこの感想タグだけど、その一方で課題もいくつか見えてきた。
感想が書きたい人の集まりではない
あくまで自分のエントリに対して感想を「書いてもらえると喜ぶ」のであって、「感想が書きたい」人が集まっているのではない。
なので、常に需要が過多になってしまう傾向がある。
感想を書くのはなかなか大変
いくつかのコメントを拾い読みしていると、どうやら他人のブログの感想を書くのは意外と骨が折れるようだ。
以前、感想の書き方については、いくつか仮説を書いてみたけれど、
たしかに、他人のエントリの内容を要約して紹介したり、それについて相手の機嫌を損ねないように感想を書くのはけっこう難しい。
別に「感想」なので、自由に書けばいいと思うが。
大きなアクセス獲得には向いていない
感想エントリは、大きな反響を得たいという人には不利に働く可能性がある。
どうしても内に閉じた内容になりがちなので、経緯がわからない人が目にした時にわかりにくく、拡散しにくい可能性がある。
これは大量のPV獲得やホッテントリを目指す人にとっては、なかなか手が出にくいだろう。
他の人に気を使うのが面倒
表立ってそういうコメントは見られないけど、ブログとはいえやっぱり人と人が交流するので、若干の気遣いをしなきゃというように心が動くのもたしかである。
しかしまあ、わざわざ感想を書いてくれた人に個別にお礼を言ってまわるのは面倒だし、別に無視してもいいと思う。
それではどうしても良心が許さないのであれば、はてなスターをポチっと押して帰ればいい。
「感想をブログで書いてもらえると喜ぶ」と言っているのだから、書いてもらえたその時点で喜んでいるのである。
感想を書いた方は、グフフフ・・こうされると、うれしいんだろ、うれしいんだろうがあああと、思っていらっしゃればよろしい。
それでも、感想を書きあうのは楽しい
さて、色々と課題が山積みではあるが、やっぱり感想を通してブログ同士で交流するのは、すごく楽しい。
特に僕がうれしく感じるのは、相手が自分のエントリについてのエントリを書いてくれることで、誰かの物語の一部になれているという実感が得られることだ。
それが共感であろうと、反論であろうと、自分が書いたことが、誰かの思考を刺激して前に進めている。
何かの意味をもたらしている。
こんなに名誉なことはない。
今回の投稿に、何を求めますか
ブログに何を求めるのかは、その人次第だし、その目的は1つじゃないことも多いだろう。
僕だってもともとは自分のブログを「自分の考えを確認しておく場所」ととらえていたけど、
今は、「たくさんの人とじゃなくていいけど、冷静でゆるやかな交流を楽しむ場所」としての役割も求めている。
あまり難しいことを考えずに、いわゆるプロブロガーの方以外は、ある程度何をやっても家計に響くわけではないと思うので、色々と試してみるのがいいのだと思う。
今回のエントリはたくさんの人に読んでもらえるように頑張ってみる、とか、いや単なるメモとして使おう、とか、今回は前から気になってるあのブログと交流してみる、という感じで、自由に使い分けたらいいのだと思う。
楽しみ方がたくさんある、というのはもうそれだけで十分に素敵なことである。
僕らが生きる社会は、とにもかくにも個人の主張や発言に一貫性を求められることが多い。
だからこそブログでは、多少の支離滅裂も、主張の変更もあってもいいと思うし、色々とキャラクターを使い分けたり、誰かれかまわず交流しあったり、対立しあったりしても、それはそれで面白いんじゃないだろうか。
そもそも面白い発想や新しい試みというものは、そういう混沌としたやりとりの中から生まれてくるものである。
それだけは、僕のこれまでの小さな経験たちを賭けて保証してもよろしい。
そんなわけで、これからもブログで感想をもらえると、身もだえして喜びます。