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犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるヒントについて考えています

感想を書くということの恐ろしさと、かけがえのなさ。

ブログの感想








すっかり遅くなってしまったけど、

id:kamuridoさんのエントリについて、感想を書こうと思う。


表現の海 - おれ文庫


というのも、以下のような宣言を勝手にしてしまったからである。





彼はこのエントリで、こんなことを書いていた。



何かの感想を書くことはすごく難しい。映画、小説、絵画、音楽…いろんなものを目にして耳にして何かを心で感じるのだけれど、その気持ちを言葉や身体や音で表現することは上手にはいかない。


これは、僕にも同じ思いがある。


何かについての感想を書こうとすれば、

それに対して、自分なりに時間をかけて考える必要がある。


この人はなぜ、こういうものを作ったのか、あるいは書いたのか、

その背景から始まって、プロセスや、苦労や、そして今はどうしているのかなど、

色んなことを考える。



そのうえで、ようやく自分が感じたことについて、言葉にするための準備が始まる。



これはなかなか大変なことで、普段のようにぺろっと自分語りをしてお茶を濁すのとは

かける時間も、労力も、まったく違ってくる。



だから、僕にとっても、感想を書くというのはすごく難しい作業だ。



それでつい、何かの感想を書こうと思っても、

自分の書きたいことばかり書いて逃走してしまう。






id:kamuridoさんに会ったことはないけれど、

彼はすごくタフな人なんだと思う。



いつも、ちゃんとブログの中で、自分の弱さについて語っているから。



そして、そういうものに向き合うことができる人は

自分に対して誠実で、生きることについて真剣なのだと思う。



その証拠に、この短いエントリの中で、彼はこう締めくくっている。



色んな感想見読みたい。何かの作品の感想でも、僕が書いたブログの感想でもなんでもいいからどこかに書いてほしい。可能ならば皆のブログを僕も読みたい。どんなに浅くても飛び込みたい。そう思ってます。


なんて強いんだろう、と僕は思う。



ブログなんて、どんな風に書こうと自由なのだから、

言いっぱなしでも全く問題ないのに、

感想が苦手だという自分に対して、まっすぐに立ち向かってみようとする。



これは、本当に実行されるかどうかなんて、どうでもいい話である。

自由に自分について語っていい場所で、あえて「飛び込みたい」と書く人は、

他のだれかではなく、自分に対して挑んでいるのだ。





この猛暑の間に、(メディアとしての)はてな界隈では

なぜブログを書くのか、ということについての議論がいくつか見られた。



僕自身がブログを書く理由については、ブログを書き始めたころに、すでに述べたけど、


なぜ今さらブログを書くのか? - 犬だって言いたいことがあるのだ。


書く人それぞれに、色んな理由があるだろう。


しかしTwitterでもFacebookでもなく、あえてブログを書く人に対して

何かの感想を書くのはやっぱり難しい。


「なぜこの人はこのブログを書いているのか」という問いから

いつも始めなければいけないからだ。



なぜこの人はブログを書き始め、なぜこのエントリを書くに至ったのか、

それについて考えてはじめて、僕自身の文脈が見えてくる。

そして、僕自身の感想を書き出すことができる。



別におかしなことは言っていない。



人は、他人を理解することなんてできないからだ。


できるのは、自分が相手だったら、どう感じるのだろうかと想像すること。

そして、その想像のもとに、自分なりのささやかなアイデアを付け加えること。




そういう命がけの跳躍をする権利しか、僕らには与えられていないのである。