国民の身体が一番大事。







僕は体力に自信がない。

歩くとすぐに疲れるし、徹夜するとだいたい風邪を引く。

で、そうなると気分が滅入るので、

アイデアが思いつかなくなる。

僕にとっては、アイデアを生む最大の秘訣は「機嫌のよさ」なので

体力の低下は、文字通り致命的なのだ。




身体と心の関係というのは、脳科学の本を読んでいても

密接なつながりがあるどころか、

心なんてものは、ほぼ身体そのものらしいので

自分は肉体労働をしていないと思っていても、

実は肉体を使うことを前提とした仕事をしているのだ。




そういう視点で自分の生活を見ると、

本来は明らかに身体性が必要な用事について、

頭だけで考えたり、処理したつもりになったりしていることが多い。


その典型がお金である。


中華の出前を頼んだら、ヨボヨボのじいちゃんが来て、

ラーメンを辛そうに取り出しているのを見ても手伝わない人の頭の中は、

お金を払うという作業がじいちゃんの労働と等価である、

ということで処理されているので、

それ以上考える必要がないことになっている。

明朝までに企画を出せと夜中になってから言い出す人も、

平気で値切ってくる人も、

お金という記号によって頭の中の処理を済ませることで、

そこで必要とされる人間の身体性を無視してしまう。

自分の意思決定の先に、それもすぐ目の前に、

生身の人間の身体が横たわっていることが、

この世の中では、巧妙に隠されている。




僕は、ここから自分の考えを再出発させたいと思う。

人間というのは生身の肉体そのものであり、

その思考すら、身体活動の一部なのだ。

ならば、人の幸せというものは、やっぱり身体につながっているはずだ。

景気がよければ幸せとか、

いいね!が多ければ幸せとか、

そういう記号や概念によるものは後回しでもよくて、

まずは一人一人の身体をお互いに

大切にし合うところから、始まるのだと思う。

そして、それは昔から、思いやり、と呼ばれてきたはずなのだが、

さて僕の記憶違いだろうか。