昔話で大変恐縮だけど、
「ちょいワル」の仕掛け人の岸田一郎さんに
アイデアを出す秘訣は何でしょう?と尋ねたら、
「計算することです」と教えてくれた。
僕はその時、正直あんまり意味がよくわからなかった。
なんとなく、わかったような顔を浮かべてうなずいてみせるのが精一杯だった。
しかし最近、急に彼が言っている意味がなんとなくわかってきたような気がする。
おまけに、僕は彼が「計算することです」としか
答えてくれなかったと勝手に記憶していたのだけど
他にも話してくれたのを思い出した。
どうやら僕の脳みそは、自分が理解できなかった言葉を
とりあえず引き出しの奥の方にグチャグチャに押し込んでしまうらしい。
ずいぶんいい加減な脳みそである。
たぶん、彼はこう言っていた。
自分がどんなことをすれば、
周りの人間が反応してくれるだろうかとか、
誰が協力してくれそうだとか、
どのあたりから話題が広がるだろうかとか、
そういうことを全部計算することが、アイデアの基本だと思います。
ここまで聞けば、普通なら理解できそうなもんだが
まあ当時の僕にはそれでもイメージできなかった。
それはたぶん、岸田さんの言う「アイデアとは計算するものである」
という考え自体に賛同できなかったからだろう。
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まあ、まだその頃は辛うじて、
マスメディアによるコンテンツだったり話題といったものが
影響力を残していたからかもしれない。
そもそも「ちょいワル」が流行ったこと自体が、それを物語っている。
だからこそ、僕はより魅力的なコンテンツや
力のあるコンテンツを作ることへの執着が強かったし、
また、大した成功体験もなかったので
余計に「いいアイデアを生み出したい」という怨念のようなものを抱えていた。
つまり、僕はアイデア=コンテンツという図式に完全にとらわれていたし、
純粋に面白いアイデアを考えつくことが素晴らしいことだと思っていた。
そこには「計算」の余地はないと思っていた。
それは、ダークサイドに堕ちてしまった者だけが使う、卑怯な方法で、
本当に力のある者が選択するべき手段ではないと思っていた。
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しかし、結論からすれば、やっぱり計算は必要なのである。
もちろん地道に、純粋に、自分が良いと思うコンテンツを作り続けて
ある日、日の目を見る、というケースが今でもないとは言えない。
だが、それはそれで
「良質なコンテンツを生産して、知る人ぞ知るものとしてブランディングする」
という1つの計算が働いていることを忘れてはいけない。
もっといえば、表現者における計算というのは、想像力そのものである。
自分がこういうことを発信すれば、それを受けた人はこんな気持ちになるだろうと、
そういう想像を働かせる力は、表現する者には最低限必要な能力だ。
岸田さんが言っていたのは、その想像力をもっと色んな範囲に広げてみなさいよ、ということである。
単純に発信者と受信者だけでなく、それに関わる人々や環境や事情を考えてみて、
一体どんな変化が起こるのかを想像することが大事だ、ということである。
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一方で、そういう計算ばかりをしていて、
本質にたどりつけない事態というのもいくらでもある。
それは動機に問題があるのだと思う。
自分だけが成功したり救われたりするような「計算」をしているうちは
本来の想像力というものはフル稼働してくれないのである。
自分以外の人間の気持ちとシンクロして、
まるで自分のことと同じように痛みを感じたり、
喜びをかみしめたりできるレベルにまで計算の精緻さを高めてはじめて、
僕らの想像力というものは、信じられない高度にまで浮き上がることができるのだ。
さて、このことを、人類は古来から、
「好きになる」と言ってきたように思うのだが、
はたして、これも僕の記憶間違いだろうか。