犬だって言いたいことがあるのだ。

ものごとをひとつ先に進めるアイデアについて考えています

逃げる場所は、必要だと思う。








僕の通っていた中学校は、それはずいぶん荒れた中学校で、
入学した日にトイレに行ったら3年生たちが当たり前のようにタバコを吸っていて
まったく状況が理解できぬ中で、これはしかし知らぬフリしてやったほうが
彼らにとっては都合がよかろうと、何食わぬ顔で用を足していると
後ろから思い切り頭をゴツンとやられた。
挨拶がないというのである。

また、1年生ですでに180センチ近くあった同級生は
でかくて生意気だという理由から、放課後に数名の3年生に捕えられて
顔面だけをはずして全身をボコボコに殴られた。
その様は大きなキリンを集団で刈る肉食獣そのものだった。

あわてて先生を呼びに行こうと廊下に出ると、
先生方は、皆さん、巻き添えを食らう前に職員室まで避難するべく
全速力で走って逃げていくところであった。

そんなわけで、すぐに僕のクラスは、
そういう連中ともともとつながりのある親藩と
やや抵抗したものの圧倒的な勢力には逆らえずに軍門に下った外様大名たちと
そして、僕ら被支配層に三分された。

被支配者の毎日はなかなか刺激的で、
誰にも目を付けられぬようにいつも頭を垂れて、背中を曲げて
小さく身をかがめて廊下を歩かなければならない。
そうでないと、歩き方が偉そうだという理由だけで捕獲されて
顔以外の部分に大ケガを負わされる危険性があるからだ。

また。唯一の楽しみである昼休みのお弁当の時間でも
突然、先輩やそのご親藩である凶暴な同級生が現れて
何食わぬ顔で、僕ら平民の弁当の中身を吟味しはじめる。
そして、一番気に入った食材を自ら素手でつまんでお召し上がりになるのである。

仕事から帰ってきて疲れているのに、一生懸命作ってくれた弁当が
やつらの胃袋を満たすためだけに機能していることを、
母は知るまいと思うと無念でならなかったが、
この野生の王国で生き残る方法はただ1つ。
自分を殺すことだけなのだ。

短気を起こしてしまえば、痛い目に会うのは自分なのである。


まあそんなわけで、僕の思春期のほとんどは暗黒世界のただ中だったが、
そこで唯一、心の羽根を伸ばすことができる場所は、
家から少し遠いところにあった、とある学習塾だった。

塾というのは不思議な場所で、勉強さえすれば怒られることがないのである。

廊下を歩く姿勢に気を使ったり、弁当を満足に食べられないことに起因する空腹に耐えたり
帰りにタチの悪い同級生に見つかってカツアゲにあわないように全速力で帰宅したりしなくてもいい。

当然の結果として、僕は勉強に打ち込んだ。

はっきり言うが、これは完全なる逃避である。

すでに中学校における僕の人生は終わっていた。
ただただ、苦痛の連続である生活の中で、唯一逃げ込める場所が塾であっただけであり、
何をしても怒られないどころか、下手すれば褒められる可能性もある行為、
それが、受験勉強をするということだっただけだ。

不思議なことに、そうやって勉強を続けていると、
塾に通う別の学校の子たちから声をかけられるようになった。
たいして面白い会話をしたわけではない。
しかし、その内容は、お前さっきオレのほうを見ただろザコのくせに、とか
早くそのフタをしているほうの弁当箱も開けやがれとか
そういう種類のものでないだけで、僕の心は安らいだ。

それどころか、時折、何のまぐれかテストで良い点を取ったりした時に
彼らは僕のことを賞賛してくれた。
そして、でも次は絶対に負けないからな、と僕をライバル視さえしてくれた。
すでに色んな人間から敵意や殺意を向けられるのに慣れてしまっていた僕にとって、
そいう感情を僕に抱いてくれる人がいることは、すごく新鮮だったし、うれしかった。

今思えば、僕はそこでやっと友人というものを手に入れられたんだろう。



さて、長い昔話をしてしまったが、人間には逃げこめる場所が必要だし、
あの時、彼らが僕を暖かく迎え入れてくれたように、
これまでの人生とは全く違う種類の出会いがあることは素敵なことだと思う。

そして僕らは気づくだろう。

これまでの常識が、決して常識とは限らないということ。

自分よりもずっと、キラキラと命を真剣に燃やして生きている人がいるということ。

そんな彼らと、一瞬であっても出会えたことが、かけがえのない宝物になるということを。