僕の場合は、自分の仕事の一部として、書くことや伝えることが
要素として組み込まれているので、公私を分けるのが難しい。
もっと言えば、僕はコピーライターという仕事をすることで
自分の色々な欲望が一度に満たされると思っていたのだけど
実際にコピーライターになってみると何にも満たされないどころか
悩みばかりが増えていった。
コピーライターの勉強をしていた頃は、
面白いアイデアをウンウンうなって考えて、
たまに本当に面白いことを思いついて、言葉にできただけで
とにかく、純粋に楽しかった。
しかしまあ、実際の広告の仕事というのは
アイデアだけを考えていればいいような仕事なんてほとんどなくて、
それよりも、クライアントを喜ばせたり、いかにも賢そうに企画書をまとめたり
そういうことも「ちゃんと」やらなくちゃいけなくて
本来わがままな性格の僕にしては、まあよく辛抱してやってきたと思う。
もちろん、その辛抱とか我慢とかは、その先にあるもの、
つまりは自分のドロドロとした承認欲求とか自己満足とか色んなものが
そのうち一度に満たされる時が来る、という期待があったからだ。
でも、情報革命によって広告の意味がどんどん薄れていって
みんなが自由にメディアを使える時代になってしまったから
もはや、僕のこれまでの我慢はほとんど無駄になってしまった。
そのへんは、以前に書いたから割愛する。
とにかく、もっと何かを書いたり表現したりしたい、という業のような
ドロドロ、ネチネチとした欲望は、簡単には満たされないということなのだ。
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もっと正直に言おう。
こんな僕でも、それなりに仕事の中で、
納得のいく面白いものを作れたこともあるし、いくつかの賞をもらったりもした。
周りの人から称賛されたり、有名な先輩から声をかけてもらえたりして
舞いあがったこともあった。
でも、そういうことでは本質的な解決には、全くならない。
ただ純粋に、もっと新しいアイデアを思いつきたい、とか
面白い文章を書きたい、楽しい表現を考えたい、という欲望に向かい合って
ひたすら取り組んでいる時にだけ、僕は自由になれるのである。
だから、僕の願いはただ1つで
そういう状況に自分をずっと置いておきたいだけなのである。
もし誰かが、僕が取り組むべき「お題」を与えてくれ続け、
その結果に応じて、報酬なり僕と家族の身の安全を保障してくれるのであれば
僕は喜んでその環境にどっぷりとつかり続けると思う。
しかし誰もそういう仕組みを作ってくれないし、
あったとしても納得できないようなものばっかりだから、
仕方なく、ああでもないこうでもないと、
自分で走り回らなくちゃいけない。
だけどそれが、あの頃の僕と同じように苦しんでいる若い人にとって
少しでも役に立つのであれば、まあ、それはそれでうれしいことだけど。