世の中の役に立つことのむずかしさ。







僕はNPOとか慈善活動とか(この2つは全く違うものだけど)いう言葉に
すごく抵抗があって、それは結局、人間は利己的に動くものだという
経済学の大前提が、何かの怨念のように僕を縛っているからだと思う。

だけどまあ本来、人間というのは神と悪魔を両方とも心の中に棲ませていて、
本当に利得だけで行動するかというと、そうでないのもよくわかっている。
もうちょっと言えば、僕だって、世の中のために、人のために、
何か役に立ちたいと、それなりに強く願っている。

しかし、それをNPOですとかボランティアですとか名乗るのはすごく抵抗があって
あなたたち、そんなこと言っても、結局は自分のためにやってるんでしょ、
誰かに必要とされたいという承認欲求のためにやってるんでしょ、と思ってしまうし
自分がそう思われるのもイヤだ。

ところが、それがちゃんとお金をもらう仕事だとなるとガラッと変わる。
そうです、僕はお金が欲しくてやってるんですよ、っていう態度のほうが
慈善活動もやりやすい気がするし、ひょっとすると相手もそうなんじゃないだろうか。

つまりは、人の善意に対して依存することはなんだか怖いのに
お金がほしいという人の利得的行為は信用できるという
なんだか変な心の構造になっているのである。

普段の仕事でも、本当に善意で「ここは無料でいいから、やらせてください」
という話をすると、クライアントがすごく気持ち悪がることがある。
信頼できない、というだけじゃなくて、説明しようのない違和感があるらしいのだ。

むしろ「今、無料というので恩を売っておいて、後で倍にして返してもらう作戦です」
と言ったほうが、むしろ納得して、受け入れてくれたりする。

僕はここで現代人の心の闇を暴くつもりは一切ない。

むしろ、そういうことを前提にした上で、
それでも人々の役に立つにはどうしたらいいのか、
ということについて、しばらく考えていきたい。

結局、人間の善意というものが信用しにくい世の中では
お金という共通記号がしばらく必要なのだろうし
まあお金がなければ生きづらいのも事実だ。

そういう意味では、あえて自分たちの欲望をさらけ出す、
というやり方はあるかもしれないし
もっとクールなやり口があるかもしれない。

とにかく、この問題について何らかの答えが見いだせた時、
生きるのが、ちょっと楽になるような気がする。

まあ、ちょっとだけ、なんだけどね。