自分への執着を捨てきれない僕のために、書いておきたいこと。

*自分を疑ってみる

ブログというのは、記事を書いているあいだは誰からも反論や意見がないので

つい自分の書いてることは全て正しいと思いこんで、どんどん書いてしまう。



まして、書いたり表現したりすることを仕事にしてる僕らの場合、

自分を肯定するための技法なんて、いくらでもあるので

「自分が自分にだまされる」なんてことも起こりえる。



そんなわけで、定期的に、僕自身が解決できないでいることや

悩んでいることを書いておきたいと思った。

そうしておかないと、冷静な判断ができなくなったり

他の人に迷惑をかけてしまったりすることを

経験的に(相応の痛みを伴って)知っているからである。



*「自分」への執着

いきなり一番難しい点だけど、僕はずっと自分自身への執着が強くて

僕という存在が、他人から注目されたり、高く評価されたりしないと気が済まなかった。

受験勉強で良い成績を取るとか、良い大学に入るとか、かわいい彼女と付き合うとか

そういうわかりやすい指標があると、躍起になったりした。

あるいはサラリーマンとして働きはじめても、クライアントから尊敬されたいとか

クリエイターになって自分の世界を表現したいとか、そういう欲望は止まるところを知らなかった。



だけど、以前このブログに書いたように、色んなことがきっかけで

「もう出世はしなくていいかな」とだけは思えるようになった。

そう思うだけで、かなり気持ちは楽になったし、自由に物事を考えられるようになった。

(というか、自分にまだ出世したいという気持ちがあったことがショックだったが)



ところが僕はここで、自分にうまくだまされていた。

「出世しなくていい」というのは、実はメタファーである。

つまりは「他者に勝つ、という指標にとらわれるのをやめよう」ということを

言うためのたとえだったのだが、そこまでは自分でも踏ん切りがつかなかった。

このせいで、僕はまだ「他者との競争」という部分へのこだわりを残していたと思う。



そしてこの「他者との競争」に対する意識は「自分への執着」に起因している。

僕はその執着を完全に捨てるのをためらったので

「出世しなくてもいい」という中途半端なメタファーを使ってしまった。



しかしこれは、なかなか難しいことで、長年こだわってきた自我への執着を

一度に捨ててしまうというのは大変だし、また自分自身に対しても失礼な話だと思う。

妙な物言いになってしまうけど、僕という自我は、これまですごく頑張ってきてくれたと思う。

普通ならへこたれてしまいそうな時でも、不屈の闘志で前に進んできてくれた。

また、精一杯、魅力的な人間になろうと努力してくれたおかげで

どんな場面でも物怖じしないでいられる度胸がついた。

そして、自分だけの思考方法を作り上げて、限界ギリギリまで純粋な想像力を育ててくれたから

表現者として、それなりの世界を持った人間になれた。


*自分自身へ感謝

僕はそんな自分の自我に心からお礼を言いたい。

本当に、これまでありがとう。

おかげでなんとかやってこれました。



そして、これからはそんな自分自身に恩返しをするべく生きていきたい。

その方法は、すごく逆説的に聞こえるけど、他人を幸せにすることだと思う。

僕自身が、自分に対してやってきてくれたことを

今度は周りの人々に返していこう。

そうすることで、自我が僕にやってあげたいと思っていたことを

これからの世の中に伝えていこう。



まだ、僕の中ではドロドロと煮えたぎる自我が残っているし

そいつとしばらくは共存していかないといけないだろう。


だけど、ひとまずそんな調子で毎日を過ごしていてれば

意外と納得して、気づかないうちに昇天してくれるんじゃないかなあと

なんとなく思う。