昔、グリーンマイルという
ものすごく疲れる映画を
女の子と一緒に観た。
観終わってから、その子はため息をつきながら言った。
私はね、ウソの話を、さも本当にあった
すばらしい話であったかのように
表現するのが大嫌いなのよ。
まあ、大作と言われて
それなりの評価をされている映画だし
映画そのものを中傷するつもりはないから
勘弁してもらいたいのだが
僕はその言葉を今でもずっと覚えている。
そして、そういう表現を自分がしている時が
決してないとは言い切れない。
★
別に、ウソの話をみんなで面白がって
楽しんでいるうちは良いのだ。
だけど、表現というのは恐ろしい面があって
ちょっとだけ向き合いを変えるだけで
急にウソや「ほとんど本当ではないこと」が
さも効果があったり、意味があったりするように
伝わってしまうことがあるのだ。
そして、それがクライアントに
すごく喜ばれてしまったりすると
表現者はどんどん地獄に堕ちていくのである。
★
僕は、別にウソをつくのがダメだとは思っていない。
でも、その場合はルールが2つあって
①ウソだと明らかにみんながわかるウソをつく
②誰もウソだとは絶対にわからないウソをつく
ということを守ればいいと思っている。
怒られるかもしれないが、歴史小説とか大河ドラマは
②に当てはまるんじゃないだろうか。
要は史料以上に確かな証拠はないわけで
あとは作者の想像力でどんどん埋めていくしかない。
だけど、読者は、まあそんなものなのかな
と思って読んでしまうのである。
これはとってもよくできたウソなのではないだろうか。
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ということは
「グリーンマイル」の監督は
とある1人の観客に対して
完璧なウソをつくことに失敗したのだろうし
それは僕の場合にもあてはまる。
(一緒にするのは申し訳ないけど)
結局、完全なウソをつける自信がないのに
小手先で適当にそれらしく表現しようとするのが
一番ダメなことなのだろう。
もっとウソがうまくなるように、努力しなくちゃ。