仕組みと中身は、どっちがエラい?

 

 

 

 

仕組みを考える人がエラいのであって、

中身を考える人はいくらでもいるし

替えがきくから、全く重要じゃない。

 

最近、僕の会社では、老いも若きも

こんな価値観を持っている人が増えたなあと思う。

 

僕は、中身のほうが大事だという

立場を明確にしているので

不公平な書き方になってしまうが

そんなに仕組みは大事なのかねえ、と思ってしまう。

 

 

僕は、本当に仕組みを考えることが好きな人を

否定するつもりは一切ないし、むしろ素晴らしいと思う。

いずれにしても、うまい仕組みがないと

表現者たちも存分に暴れられないし

その仕組みがあるからこそ

人やらお金やらが集まってくるわけである。

 

だけど、それは誰もがやる必要はないし

無理に、自分もやらねばと思う必要もないと思う。

 

それよりも、「本当に自分がやりたいこと」に

正直に生きたいなあと僕は思っている。

僕は「中身を考えること」のほうが好きだし

それで出世しなくたって別にいいのだ。

 

もうちょっといえば

「仕組みを考える人」と「中身を考える人」は

もっとお互いを尊重しあって

時には激しくぶつかりあい

高め合っていける関係なのだと思う。

 

 

だから、どっちがエラいとか

どっちが新しいとか、そういう比較自体が

たぶん間違っているのだろうし

そういうことを気にしている人は

みんなヒマ人であって

余裕がある証拠なんだろうなと

タイトルをマッチポンプ的に否定してみたりする。