子どもと父親しかいない日の、すごしかた。

 

 

 

子ども二人とぼくが自宅にいて、妻が仕事に出ている、ということが時々あって、そういうときに試していること。

 

・めんどくさくても一日の予定を立てる

・予定を立てるときは、50分ごとに立てる

・特に宿題をやる集中力はそれくらいが限界、小学校の授業時間と同じ

・あいだに5〜10分休憩を入れる

・それ以上休むとリズムが崩れる

・先に何をどれくらいの時間でやるかを決めて、タイマーをうまく使って進行する

 

・親はできるだけ先回りして行動する

・宿題をやらせているあいだに昼食の用意をする

・昼食のときは気分転換に音楽をかける

・昼食を片付けながら午後にやることを確認したり、余裕があれば掃除機をかけたり他の用事をしておく

・昼食を食べてあとついダラダラしてしまうので、休みたい気持ちを我慢して、すぐに外に遊びに行く

・遊ぶときは夢中になって楽しむ、楽しめるようにゲームを考えたり、一緒に相談して内容を変えたりして、親のやりたいことを押しつけない

・三人しかいないとサッカーや野球などのスポーツはできないし、その練習を押しつけたりしない(そもそもちゃんと教えられない)

・走り回るとみんな気持ちがスッキリするので意外と短時間でも満足する

・疲れたら帰宅してちょっとダラダラする

・おやつを食べたりするのはこのタイミング

・ほんとはこのあいだに夕食の準備をしないといけないが、まだなかなかうまくいかない、お米を炊くセットをする程度

 

・夕食前はかなり集中力が切れているのであまり宿題をやる余裕はなく、簡単にできるものや続きを明日に回してもいいものを選ぶ

・おなかがすいてお菓子を食べたがる場合は先に風呂に入れてしまうのも良い、けっこう気がそれるし、気持ちがさっぱりするので落ち着く

・そこから妻が帰宅して夕食を作ってくれる場合はありがたくお任せする

・そうじゃない場合は、先回りして夕食の準備をする

天津飯とスープ、みたいな簡単料理でもみんなおなかすいてるのでパクパク食べる

・それまでにやるべきことをやってみんなスッキリしているので、夕食の時間はゆっくりできるし、子どもたちは疲れて早く寝る

・そこで発生した残り時間で勉強や仕事の準備ができたら最高なんだが、こっちも下の子を寝かしつけているうちに疲れて寝てしまったりする

・なかなか難しい

・だけどこんな日をすごせるのは人生の中でほんのわずかだと思うと、なんだかさみしい

・もっと他にやらないといけないことは大量にあって後ろめたい気持ちはあるが、まあできることをやる

人それぞれの価値観を大事にするのは、難しい。

 

 

 

え〜価値観は人それぞれ、と言いますが、これはすごく難しいことだと思いますね。

 

 

 

ご存知の通り、だいたいの場合、一人ひとりの価値観を大事にしている人のほうが、競争に負けます。

団体スポーツでチームメンバーの一人ひとりが違う価値観を持っていて、家族が大事だから強化合宿で練習は休みますとか、自分は人と争うことが嫌いだから勝つことにはこだわらず楽しくやりたいですとか、色んなことを言っていたら、まず試合に勝つことはできません。

企業同士の競争でも、従業員一人ひとりの価値観が大事だからと、それぞれのやりたいことばかりやらせている企業が生き残るのはレアケースで、周りからブラックと言われようが、従業員が同じ価値観を共有して全社一丸となって必死に働く企業のほうがどんどん市場を奪っていくわけです。

勝負にこだわればこだわるほど、人は多様な価値観を認め合うことよりも、ひとつだけの価値観、つまりは「勝ったほうが勝ち」というただひとつの正解だけを追い求めるようになり、その正解から遠そうなものを排除するようになるわけでございます。

 

人それぞれ、という考え方はそういう状況の中ではとても弱い。

一人ひとりが別々の価値観を持ち、別々の基準に従って動いていては、圧倒的に生産性が悪い。

ひとつの判断に基づいた命令を素早く理解し、目標をミスなく迅速に達成することを誰もが優先する、そういう考え方のほうがずっと効率が良い。

まあそんな状況です。

 

 

じゃあどんなときに「人それぞれ」という価値観が役立つかと申しますと、これはもう新しいものを生み出すときしかありません。

新しいものは異質な考え同士を持ち寄らないと生まれないので、当たり前の話ですが、要はそういうときにだけ役立つと決め込んでしまって、いつでもどこでも「人はみんな価値観はそれぞれなんだ!」なんてわめきまわるのはやめて、新しいものを必要としているところに自分から出かけていって、ほらこんな変な考えや面白い発想を持つ人たちがいっぱいいて、お互いのアイデアを組み合わせたらこんなことできちゃうじゃないですか、いやあ面白い、素晴らしい、たまらんなと、そうやって実践していくしかないと思うのであります。

 

それでまあ、実際にそう考えてみると、新しいものを必要としていないところなんてほとんどありません。

別に、いつも創造的なものを生み出し続けているような場面だけじゃあない。

生産性を追い求めている状況であれば、じゃあもっと効率よく仕事を回していくにはどうしたらいいのか、そのアイデアはいつだって必要とされているし、同じことばっかりやり続けてすっかり飽きてしまっている人たちの元気ができるような刺激的な考え方だって必要とされています。

そういうところで、人それぞれの違った価値観をうまく組み合わせながら、地道に新しいものを生み出していけばいいわけであります。

 

それでまあ勝ち負けとか競争とかいう話に戻ると、ぼくにとっての勝負というのは、そうやって毎日の中でどれだけ新しいものを生み出しているか、その勝負でしかないと思うのです。

新しいものを生み出すというと、何か特別なものでないといけないように思われるかもしれませんが、ちょっとおいしいコーヒーの入れ方がわかったとか、ちょっと楽にトイレを掃除する方法を見つけたとか、ちょっと集中力がアップする椅子の座り方を考えたとか、そういうことを少しでも積み上げていけばいいだけなのであります。

 

それでまあ、そういうことが面倒になって、一発逆転で世の中をひっくり返してやるんだと考えて、そのためにはライバルをやっつけ、敵を完膚なきまでに叩きのめし、圧倒的な勝利を納めなければいけないんだ、そのためならすべてのものを犠牲にしてもいいんだ、とまあそういう風に考えるようになったら、それが完全な敗北だと、まあそう思うわけであります。

まあそう思わない人がいたってしかたないですがね。

 

価値観は、人それぞれですから。

見えない糸が、見えない人。




自転車が壊れたので修理をしてもらいにいった。



ふたたび走れるようになった自転車に乗って、ラジオを聴きながら家に戻る、その時間がすごく気持ちよかった。

今年の大阪はあまり寒くない。
去年は寒さに耐えきれずにフェイクファーのついたちょっと丈の長めのダウンジャケットを買ったけど、今年は出番がないかもしれない。
ただダウンジャケットは中にあまり重ね着をしなくていいので、オフィスの中でよく体を動かす日には役に立つ。
来年はできるだけたくさん体を動かして働きたいなと思う。

今朝ふと思ったのだけど、大学生の頃はまったくモテなかった。
ちょっといいなと思った子とちょっとした話をするんだが、その子にはすでにお目当ての男子がいたり、あるいは単純にぼくには興味を持ってもらえず、いつもうまくいかない。
なにか見えない糸のようなものがあって、その子や周りの子たちにはそれが見えて、その糸をたぐりよせながら仲良くなっていくが、ぼくにはそれが全く見えないので、ずっとひとりなのだ。
それは同じ趣味だったりサークル活動だったりゼミだったりあるいは何か別の関係性だったりするのかもしれないけど、とにかくその正体はよくわからなかった。
いまだによくわからない。

今はそういった感覚はあまりないけれど、それは仕事という決めごとの中にいるおかげであって、その証拠に仕事以外の目的で集まったりする場では、やっぱり挙動不審になってしまう。

仕事は見える糸だ。
何が目的で、何が手段で、そこに何が不足していて、何が余っていて、自分がどの糸をつかまえて、どう引っ張ればいいかを考えることができる。
うまくいかなければ別の糸を引っ張ってみればいい。

だけど仕事ではない、何かもっとちゃんとした人や友だちがたくさんいる人にしか見えないような種類の糸は、ぼくにはさっぱり見えない。

まあそういう不完全な人間だから、本を読んだり音楽を聴いたりして、ひとりでも楽しめる方法を探していたのだろうし、その結果ひとりでも割と楽しくいられるようになった。

だけど、いくらひとりで楽しくすごす方法について詳しくなっても、誰かの役に立たないとつまらない、というのがいまのところの結論かもしれない。
自分がひとりの時間をすごすあいだに身につけた技術とか、あるいは無理して人と協力しているうちにできるようになったこととか、そういったものを使って人の役に立つ。

ただまあそう書くとすごく教条的で退屈な感じがするけど、それは慈善活動みたいな素晴らしいもんじゃなく、自分が気持ちよくなるためだけに必要な何かなんだろう。

その欲望を手っ取り早く満たせるのはやっぱり仕事だが、他にもいくつかの方法はあるかもしれない。

これからはそのあたりについてもうちょっと探っていくことになるだろう。



あまりあせらず、ラジオでも聴きながら。