氷河期世代は、ゴミ箱へ。

 

 

 

ぼくは、ずっと就職氷河期世代とかロストジェネレーションとか人生を設計しなおさなきゃどうのこうの世代とか言われてきて、要は報われない世代なんだといつのまにか自分もそう思うようになっていた。

 

 

 

たしかに、そういう風に言われると、仕事でうまくいかなかったり、生活が苦しかったりしても、そうだ、自分は報われない世代だから仕方ないんだ、全部そのせいなんだ、と思えばずいぶん楽になる。

 

だけど、もうそういうのは要らないな、と最近は思う。

 

たしかに自分の人生がイマイチなのは世代のせいなのもあるかもしれないが、それは自分の力ではどうにもならない話だし、ちょっとでもマシな人生にするためにできることは他に色々ある。

 

自分が可哀想だと思っている時間があったら、できることをひとつでも試してみるほうがいい。

 

お互いに辛いよねとか大変だよねと心を通い合わせることは必要だと思うけど、それを恨み節にまで成長させちゃうと、自分の行動力が落ちてしまうように思う。

 

新しい行動を起こすには、もっと気軽で、ウキウキとしていて、結果がどう出ようとも、それを知るのも楽しみでたまらない、という気分が大事だと思う。

 

さあ次は何をしようかな、といつもソワソワしている感じ。

 

重々しい理屈やドロドロとした恨みにとらわれていては、身動きが取れない。

 

だから、自分が可哀想な世代だなんて話は、クルクルと丸めて、ポイッとゴミ箱に捨ててしまいたい。

 

 

 

まあ年齢から逃れることはできないから、同世代の人とはお互いに、体には気をつけようね、とは思うけれども。

ぼくの、弱点。


suumo.jp

SUUMOタウンに寄稿をした。

とても楽しく書けた。

普段は、寄稿の依頼をいただいたら、ぼくがざっと企画を複数案考えて編集の方にメールで送り、どれがよさそうかの意見をいただいて決め、そこから原稿を書き始めてまたメールでやりとりをする、という感じなのだが、今回は京都で打ち合わせすることもできますよ、と言っていただき、ちょうど最近は京都に行く用事がいくつかあったので、たまには打ち合わせしてみるか!と思って、お言葉に甘えて直接お会いして話をさせていただいた(お茶もいただきました)。

気軽に京都に顔を出せるのも、大阪のいいところである。

実は、「大阪」について書いてくださいと依頼をいただいたときに、さっそく、ぼく自身が、あの記事に書いたような「おおっ、大阪ですね!つまり私にコテコテの大阪人による記事を期待しているのですね!」という例の反応をしてしまい、ベッタベタの大阪賛歌を書きそうになっていたのだが、打ち合わせの中で、編集部のみなさんはぼくの話をうんうんと粘り強く聞いてくださり、頑なになった気持ちを解きほぐしてくれた。

普段は、人のアイデアを引き出すのが今のぼくの仕事なので、ここは急いで自分の意見を言うのではなく相手に考えてもらうためにちょっと待とう、とか、視野を広げるために別の質問をしてみよう、とかばかり考えているのだが、京都での打ち合わせでは、ぼくは一人の書き手として、普段感じていることを素直に言葉にし、自由にアイデアを広げ、羽を伸ばすことができて、とても楽しかった。

この10年ぐらいで、ちょっと自分の性格は変わったかもしれないなあと思う。

元々、ぼくは一人の時間が大好きで、誰にも邪魔されることなく一人でぼーっとする時間を楽しむために、それ以外の時は他のやりたくないことを我慢してやりきる、というような感覚があった気がする。

その根本はあまり変わっていないけれども、他人と一緒に何かを考えたり、一緒に作業をしたりすることも、はっきり言ってしまえば、好きになってきたような気がするのである。

ただ、その「一緒に何かをする」のが楽しいなと思うときとは、たとえば以下のような感じ。

・自分が大事にしてもらえる

・同じぐらい相手を大事にしたいと思える

・お互いにお互いの行動を強制したり、意識を変えることを強要したりしない

・それぞれが違う価値観を持っていることを前提とする

・それぞれが違う目標を持っていることも前提とする

・ただその場で「一緒に何かをする」という点だけが共通している

・終わった後の飲み会を前提としない(その時に行きたい人が行けばいい)

・どうせやるなら楽しもうとする

・それがずっと続くというよりも有限な時間だという共通認識がある

・その中で何か新しい発見を持って帰れそうな予感がある

きっと他にもあるだろうけれど、そんなことを思った。

しつこいが、ぼくは元々とても個人的な人間で、自分の快適ゾーンに人が入ってくることに敏感だし、他人にリズムを狂わされるのも嫌いだし、人の考えに無理に合わせるのもすごく苦手だ。

内向きで、閉鎖的で、保守的な大阪人なのである。

だけど、世の中には一人では味わえない楽しさがたくさんあることを知ってしまったせいで、ちょっとだけ変わってきたのだろう。

この数年は、むしろ自分から人に会いに行くことが増えたし、そうやって作られた縁のほうが途切れずに続いていたりする。

それで思うのは、さんざん大阪について書いたあとで恐縮だが、今という時代は会いたい人と簡単に会えるようになってきたわけで、どこに住むかというのはそれほど重要ではなくなってくるはずなのだ。

なのに、むしろどこに住むかという問題にはより関心が集まっている気がするし、住む場所が自分の志向性や主義主張の表現手段となる傾向も強くなっている気がする。

「なんとなくそこに住んでる」ことが許されない雰囲気すら出てきてるかもしれない。

全ての行動に理由が必要で、選択に根拠が不可欠で、住む場所に主義主張が求められる、息苦しい時代なのだ。

だけど、ぼくはそういった世の中の流れは決して悪いものではないように思う。

どれだけやりたいことがあっても機会を手に入れられなかった時代に比べれば、今の人にはたくさんのチャンスがあり、無数の選択肢がある。

やりたいことがあるのにそれができなくて我慢し続けていたぼくからすれば、今はずっと自由で、可能性にあふれている。

そんな中で、ぼくが大阪に住み続けている理由は色々あるけれど、そのひとつずつを振り返ってみると、絶対に大阪でなければならないわけでもなかったように思う。

あまりに長くこの地に住むことで、思考停止になっているかもしれない。

そう考えると大阪というのはぼくにとってはなくてはならない個性の一つだが、同時に弱点にもなっているかもしれない。

だけど、制約がアイデアを生む、というのも事実で、この地に住んでいて、できないことがあるからこそ、それを乗り越えようとするパワーが出てくることもある。

欲しいものを手に入れるために新たな場所へと移ることも一つの方法だが、それを自分で作り出すことも、もう一つの選択肢としてある。

そんなわけで、大阪に住み続けているあいだは、その魅力を充分に味わいながら、しかしまだここにないものを少しでも生み出していきたい。

ないものは、作ればいいのだ。

車輪を、何度でも発明する。



車輪の再発明、という言葉があるそうで、もうすでに先行して利用できる知恵があるにも関わらず、多大なコストをかけてそれと同じもの(や場合によってはもっとひどいもの)を開発することだそうだ。



要するに、皮肉だ。

それで、最近思うのは、世の中には車輪以外にも世の中に役立つものがたくさんあるので、だいたいのものは自分で発明する必要はない。
なので、その発明の数をたくさん知っていて、それにすぐにアクセスできて、うまく利用できること、それが重要である世の中になって久しい。

ちょっといいことを思いついて、何かを作ろうとすると、すぐに横から「それは再発明だよ」とささやいてくる人が出てくる(それは他人ではなく、自分自身だったりもする)。
そうかなと思ってちょっと調べてみると、なるほどほとんどのことは、すでにすごい人たちによって発明されており、おまけに自分が思いもよらなかったところまで考え抜かれていたりする。
それですっかり心が折れて、ああもういいやとなってしまう。

ちょっと年を食ってからコピーライターの仕事を始めた頃、アイデアの刺激にならないかなと思って過去のコピー年鑑を見ていたら、後輩(だがコピーライターとしては先輩)に、いぬじんさんも年鑑を見ることあるんですねと言われたので、君は見ないのと聞いたら、見ますよ、過去のアイデアと自分のアイデアがかぶらないようにするためにね、と彼は答えた。

当時のぼくは、すげえな、そうそうたる作品が並ぶ年鑑と自分の仕事とを並列で見ているなんて、とは思ったけど、彼の言っていることに共感はできなかった。
おそらく、あの頃、ぼくはコピーを見るだけで楽しかったのである。
ああこんな切り口があったのかとか、こんなビジュアルをよく思いついたなとか、これは絶対に自分には真似できないけど好きだなあとか、そういう目で見ていた。
それから数年経って、いくつか賞をもらったりしはじめると、たしかに年鑑もそんな余裕を持って眺めていられなくなったけど、それでもやっぱり「過去のアイデアとかぶらないように気をつけなければ」とは思わなかった。

なぜなら、そこに同じアイデアなんて、ひとつもないように思えたから。

たしかに似ているコピーや似ている企画はあるけれども、それを考えた人たちは、そこでそれぞれきっと違うことを感じ、違う発明をしている、と感じた。
クリエイターは一人ひとり必死に面白いものを考えようと毎日努力をしている。
結果的に他人からは似たようなアイデアに見えたとしても、そこで本人が発見したものは、世界に一つしかないものだと、そう思えた。
そして、その発見に、強く嫉妬していた。

ぼくがそう思いたかっただけの話かもしれないけれども。

ところが年を取って、いつのまにか、ぼくもすでに発明された車輪ばかりを探していて、自分なりの発見をすることがすっかり減ったし、気が付くと他人が何かを再発明しようとしているのを見て「それは再発明だよ」などとささやいてしまっていたりする。

しかしもうそういうのは、おしまいにしたい。

やっぱり、一人ひとりが何かについて真剣に考えているとき、そこで起きているできごとは、その人の中でしか起こらない特別な事件であり、冒険なのだ。
たしかに他の人から見れば同じ失敗をして、同じ発見をして、無駄な時間をすごしているように見えるかもしれないが、誰もその人自身になれない以上、やっぱり完全に追体験することはできない、かけがえのない時間なのだ。

再発見でもいい。
再々発見でも、再々々発見でも、再々々々発見でもいい。
きっと、そこでぼくらが見つけたものは、それぞれ違っている。
その違いに気づき、認め合い、そこで起こっている何かの気配に気づく。
そしてそいつの尻尾を捕まえるためにみんなで準備をし、タイミングを見極め、飛びつく。

そんなパワーが生まれるのは、「これは自分たちで見つけたんだ!」という強烈な体験があるからだ。

いつだって、それが正しいかどうかはよくわからなくても、いてもたってもいられなくて行動を起こし、悩みながらでも歩き続け、ほんの少しであっても志を同じくする人と力を合わせ、いつか実りの季節がやってくることを信じて這いつくばって進んでいく、その力の源となるのは、自分の胸のときめきだ。

だから車輪を、何度でも発明していこう。



毎日をドキドキしながら生きていこう。